伝統に甘えず未来を創る―140年超える造り酒屋「稲天」

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伝統に甘えず未来を創る―140年超える造り酒屋「稲天」

初代真柱・中山眞之亮様の書(稲の花)
2代真柱・中山正善様の書(いなてん)


初代・2代真柱様から名前をいただいた店

稲田酒造 5代目社長・稲田光守さん

「硬いですよね。これでは若い人は読まへんのとちゃいますか?」

 既刊の「WebMagazine陽気」を、ノートパソコンに映して見せた時の「即レス」だ。

「今は、だれもが気軽に発信する時代ですから、感覚が進んでますよ。特に臨場感がないと読まれない」

 養徳社のごく近所だけに、お互い気軽に声を掛け合う仲だ。
 四角い浅黒い顔に短髪、柔道とゴルフで鍛えた(?)ガッチリした体形、愛嬌のある目がきびしくなった。

 48歳の稲田光守(いなだみつもり)社長は、「稲田酒造」の5代目だ。
 天理を元気にしたいと、数々のイベントを主導したり、志ある若者の育成に力を注いできた。東日本大震災後の復興支援など、東奔西走、若者たちの自発的な活動を支え、共に汗を流してきた彼の言葉には、なるほどと思わせる力がある。

 稲田酒造は、おやさまご在世中の明治10(1877)年に開業した。

 当時稲田家の屋敷は、中山家の北東隣にあった。
「天理教御神酒」として、初代・稲田源治郎が天理教初代管長(真柱)の中山眞之亮様から「稲の花」の名前を授かり、醸造を始めた。

 明治30(1897)年、本部の神殿普請にともない、鏡池横に移転。
 明治45(1912)年には、2代真柱・中山正善様から「いなてん」の名前を授かった。
 そして大正12(1923)年、現在地に移転している。

 天理教の歴史とともに歩んできた「稲田酒造」なのである。

店の奥から格子戸越しに中庭が見える

 

コロナのおかげで考えた「二者択一」

「わたしら、天理商店街で商売している者は、天理教のおかげでやってこれた。でもそのおかげで売れるのが当たり前になり、商売人として一番大事なものを失っている気がします。コロナで商売がダメになった理由を天理教に転嫁するんじゃなく、自責の強い気持ちが必要だと思う」

「ぼくはコロナのおかげで、5年、10年先を見て今何ができるか、何をすべきか、めっちゃ考えましたわ」

 奈良は「大仏商法」と言い慣わされてきた。
 大仏に参詣する客が来るのを待つだけという、奈良商人の消極性を指している。
 天理本通り商店街も同じ、ということか。

 コロナの影響で帰参者は激減し、店頭売り上げも著しく減っている。

二者択一ですわ。不況の時、体を小さくして我慢するか、逆に前へ前進していくか、どっちかでしょ」

 ホームページを充実させて、通販も幅広く展開する「稲天」だが、未来を見据え、次代へ「稲天」を継承していくことを考えたとき、もっと根本的な取り組みが必要だと、考えた。

 

酒は、やればやるほど、わからないもんや


 稲田家は、初代・稲田源治郎から、代々天元(てんげん)分教会の信者である。

 生まれも育ちも天理の光守さんは、天理中学から県内の高校を経て、大学受験の時、合格祈願のため天理教教会本部への「日参」を始めた。

 その結果、見事「合格」。それから今日まで30年「日参」を続けている。「歩いて5分ですけどね」、会長さんには「(車で5分の)教会へ日参してくれよ、と言われる」と笑った。

 コロナの影響で、外回りの営業やイベントなどが激減した。おかげで考える時間ができた。日参しながら、神様と問答することも度々だったに違いない。
「この先、どうすべきか」と。
 140年を超える老舗造り酒屋、5代目社長の双肩にかかる荷は重い。

 光守さんは酒造りに挑むこと10年、2018年には「酒造の神」を祀る大神(おおみわ)神社で境内のササユリから採れた、奈良県独自の酵母菌(山乃神酵母・2015年)を使った純米酒「黒松稲天」が「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」で金賞受賞、2020年には同金賞を3種の酒で受賞している。

その結果、彼が得たものは……

「酒は、やればやるほど、わからないもんや」

 ということだった。一度造れたからといって、また同じものが造れるとは限らない。
 突き詰めれば突き詰めるほど、わからなくなる、自分はわかっていない、ということが、わかる、ということだ。

米を蒸す釜
製麹室 蒸した米を広げ、麹菌をまぜて発酵させる部屋
総秋田杉造 木目が締まり温度管理に適しているという
数日間 1時間交代で麹を造る


新ブランドを立ち上げる


「稲天」は、今、一大転換を図ろうとしている。
「稲天」ブランドにしがみつかない、という決断をしたのだ。

 この選択には、先代社長の父と侃々諤々(かんかんがくがく)、何度も激論を交わした。しかし、引かなかった。
 頭を固くしたら終わる、発想を変えることでしか創造は生まれない。決心した。

 新しい杜氏を入れる。

「稲天」の初代が、初代真柱様からいただいた「稲の花」の名の、新しい酒、ブランドを作ることにした。
 縁あって来てくれた杜氏は、

「蔵によりそう酒」

 という言葉で、酒造りの神髄を光守さんに伝えた。その真意は、彼自身、新しく開かれた道を歩む中でつかみ、深めていくのだろう。

ぼくはとにかく人が好きなんやと思います。天理教の人は、人のため、世のために簡単に動ける……つまりいい意味で“動く”ということに対するハードルが低いんだと思います。だからそんな仲間と街を盛り上げていきたい」

 自分が生まれ育った「天理」の街を元気にしたい。街が元気になることを、コロナの中であっても進めていきたい、という思いがヒシヒシと伝わってきた。

 そのためにも自ら荒道を開拓していく。

【稲天のお店情報】

会社名 稲田酒造合名会社

住 所 天理市三島町379番地

電 話 フリーダイヤル 0120-1710-54

営業時間 9:00~17:00

定休日 不定休

明治10(1877)年創業。稲田家は当時、中山家の北東側隣にあった。初代真柱様から天理教御神酒として「稲の花」の名前を授かった、天理本通り商店街にある老舗造り酒屋。

現在、5代目。「稲天」に加え、「稲乃花」ブランドの日本酒を展開中。

奈良漬け(白瓜、きゅうり、スイカ、守口大根)なども販売している。

(稲田酒造の紹介はこちら)※明治10年当時の「おやしき」周辺地図は必見です。

http://inaten.com/storehouse.html#gaiyou

(日本酒はこちら)

http://inaten.com/sake.html

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この記事を書いた人

図書出版養徳社 編集課長
養徳社に勤めて30年。
2020年から養徳社が激変‼️YouTubeチャンネルが始まり右往左往。
Web magazineも始まり四苦八苦。読者の方が読んでよかった、と思っていただける記事を目指します。
趣味は自家製燻製づくりの55歳です。

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