俳聖 松尾芭蕉

 私の好きな格言がある。
 俳聖、松尾芭蕉の言とされる。
「格に入りて格を出ざる時は狭く、また格に入ざる時は邪路にはしる。格に入り、格を出てはじめて自在を得べし。」
(松尾芭蕉『俳諧一葉集』)

 「格に入りて格を出ざる時は狭く」

 格、とは基本のことである。どんな道でも「基本」の大切さが説かれる。しかし、芭蕉は「格に入りて格を出ざる時は狭く」という。基本を学び身についた暁には「格」から出でよ、というのである。そうしないと「狭い」と。

 「 また格に入ざる時は邪路にはしる」

しかしながら、「格」つまり基本を修めずに「格」を出ようとすると「邪路にはしる」すなわち邪道になるという。書道などはその最たるもので、楷書を書けない人には行書も草書も書けない。いくら素人が名人の書を真似ても、「格」、つまり基本が身についていない人の書は、ただグニャグニャしているだけで美しさがない。

  「格に入り、格を出てはじめて自在を得べし」

 基本をしっかりと修め、そこに安閑とするのではなくその基本から何とか出ようと努力を重ねる。そこに初めて「自在」を得ることができる、と説くのである。

 この話は、どんな場面にも応用が利くが、お道の「格」は「基本教理」であることに間違いは無い。この格を精神にしっかりと修めないことには自在を得られるはずがない。では、格を出られない「狭さ」とは何か。私は「生活に活かす視点」だと思っている。基本教理を、聞く人のことも考えずに工夫もなく伝言することの「狭さ」である。他方、「邪路」とは基本教理を深めもしないで現代社会にただ迎合することではないか。これも意外に多い。この二つはできうる限り慎まねばならないと思うのである。

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