創立77年の養徳社・創設のころ

 20年ぶりに本通り側に出て2カ月足らず。新しい店舗で気持ちも新たにデスクに向かっていると、目の前に並べた書籍の中、薄い白い冊子が目に飛び込んできました。

「創設のころ」は養徳社のホームページからダウンロードできます。文章末にURLを貼っています。

『創設のころ』 養徳社創立六十年

 黒い線でふりどりした白文字の背景は、「紙型」というもの。
 活版印刷で原版の複製を作るための紙製の鋳型です。
 組み上げた印面の上に、溶けた鉛の温度に耐える特殊な紙を載せ、加熱・加圧して作る。
 この紙型を鉛版鋳造機の鋳型にセットし、鋳溶かした鉛合金(これを「湯」と呼ぶ)を注いで鉛版をつくり印刷用の版とします。
(参考URL https://www.kotobuki-print.co.jp/?p=737

 と、書きながら、私自身、印刷工程を見たこともないので、想像するだけですが…。
 この紙型、実は養徳社の「会議室」の壁に貼ってあるんです。

 平成13(2001)年4月、養徳社は以前の社屋から本通り裏側に移転しました。引っ越しの時、倉庫から大量に出てきた紙型を、当時の社長の発案で貼ることにしたのです。

鉛の活字・これはデスクの上に、文鎮がわりに置いているもの

 太平洋戦争末期の昭和19年10月。東京の出版社が壊滅状態の中、

「営利にとらわれずに良書を発行し、わが国出版文化の発展に貢献する」

 という中山正善管長(真柱様)の構想のもとに、京都の出版社など3社を吸収合併して誕生した養徳社、その当時の熱・思いを、持ち続けよ、というメッセージだったのかと、今にして思います。

 小冊子にまとめた『創設のころ』は、創立60年の翌年、『陽気』の平成17(2005)年8月号~12月号まで、当時の編集部員・元渕紘の筆によるものです。
 創立前の、戦争末期の国内情勢・出版界の情勢から、養徳社誕生までの動き、その後の歩みが記されています。

 奈良ホテルで開かれた「養徳社設立パーティー」に、交通事情劣悪な中、文豪・川端康成が鎌倉から駆けつけ、祝辞を述べています。講談社、文藝春秋社などが解散させられ、印刷業界も壊滅状態となった当時に誕生した養徳社への大きな期待が感じられます。

昭和24年5月号 『陽気』の創刊号

 新店舗に移り、月刊誌『陽気』に加えて「WebMagazine陽気」「陽気チャンネル」「Youki Tube」、そして新しいホームページ「YOUKI MEDIA」で、77年の歴史の上に、新しい道を歩み始めている今、改めて「創設のころ」の熱・心意気を胸に吸い込み、日々、デスクに向かわなければ、と身の引き締まる思いです。

「創設のころ」PDF=https://yotokusha.co.jp/wp-content/uploads/2015/10/sousetunokoro.pdf

「陽気チャンネル」=https://www.youtube.com/channel/UCeUdFdtlDxrRVRwWkTTffVw

「Youki Tube」=https://www.youtube.com/channel/UCkmIMEkBlsGpg7_ttvsP4dg

「YOUKI MEDIA」=https://youtokusha.jp/

「養徳社ホームページ」https://yotokusha.co.jp/

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この記事を書いた人

図書出版養徳社 編集課長
養徳社に勤めて30年。
2020年から養徳社が激変‼️YouTubeチャンネルが始まり右往左往。
Web magazineも始まり四苦八苦。読者の方が読んでよかった、と思っていただける記事を目指します。
趣味は自家製燻製づくりの55歳です。

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