「おめん」ニューヨーク
前回の取材が発端となって、日本に帰っておられた品川幹雄さん(おめんニューヨーク社長)と清水満理子さん姉弟が来社してくださった。
写真と共に、おめんニューヨークにまつわるお話を紹介したいと思う。
自ら足も運ばず体験もしないことをお伝えするのは、この特集記事の趣旨から外れているようにも思うが、敢えて、お伝えしたいことがある。
現地に足は運べないまでも、少しだけ気分を味わえる方法がある。
「おめんニューヨーク」で検索してみてほしい。
「Omen Azen」
というお店がヒットすると思う。場所をクリックすると、グーグルで立地場所を俯瞰(ふかん)することができる。ニューヨーク、マンハッタン島の先端に近いところにSOHOというエリアがある。東京と比較することはできないけれど、東京なら銀座あるいは新宿に店を出すようなものだろうか?
「ニューヨークは厳しい社会です。そこで営業すると言う事は1日だって難しいことだ」
と幹雄さんは言う。
その場所で、1981年以来40年がすぎようとしていた。
昨年は、ニューヨークタイムズに[family]というテーマ(大きな家族のようだという趣旨)でお店の紹介記事が掲載された。著名人の常連客も多く、紹介された記事にはリチャード・ギアといった方の名前も連なる。
和食レストランとして確固たるものを築いてこられた。と私は思ったが、幹雄さんは、
「過去の話をしたいんじゃない、今からどうするかなんだ」
と鋭い眼差しを向けてこられた。その迫力に圧倒された。
1981年(昭和56年)12月10日Omen Azenは開業するのだが、これより以前、高校を卒業した幹雄さんは英国に留学し、1973年ニューヨークに渡り美術を学んだ。
1979年、これからどうするか? そんな節目に御両親がニューヨークを訪れたのだった。その時の「勃然(ぼつぜん)と湧き上がってくる感動」(と登美さんは本に記していた)が、登美さんがニューヨークに「おめん」のお店を開こうとした契機のひとつだという。
「ここまでたどりついた品川一家を思った時の、なんとありがたきかな、という身体も震える神様に対する感謝からのほとばしりであったのです。わたしは、天理教の百年祭のことを考えました。百年祭には、ここまで御守護をいただいたお礼をすることを決心していたのです」(人生に無駄なし193頁)
この「神様へのご恩返し」をどういう形でするのか?
「食文化を通して人様に喜んでいただく。日本の良いところをアメリカの人に知ってもらう」
それがそのまま、Omen Azenのポリシーになっているのだと思う。そして、幹雄さんの言葉を借りれば、Azenには、「A」から「Z」(すべての人々に)、心にも影響する食を通して貢献、それが世界平和につながれば、という思いがこもっている。
そこには、幹雄さんがアメリカで知り合った自然食、マクロビオティック(玄米、全粒粉を主食とし、豆類海藻類などから組み立てられた食事法)の権威・久司道夫氏との出会いがあった。当時、がんを患い、治療法のなかった父・要治さんは、久司さんから話を聞いた母・登美さんの決意で、1年間つづけたマクロビオティックによる食事療法のおかげもあって治癒している。
ここで、品川要治さんについて再度ふれたい。
前回ご紹介した通り、要治さんは商社の社員として戦前から海外で生活する期間が長かった。それ故に、
「日本の事をよく考え、日本のあるべき道をだれよりも考えた人間の一人であった」(幹雄さん談)
戦後苦しい生活の中にあっても、その世界に向けた眼差しは変わることなく、むしろエネルギーを蓄えるかの如く、書をはじめとする芸術に向けられたのかもしれない。
1967年(昭和42年)おめん開業のあと、幾度となく海外に足を運ばれ、文化事業に貢献している。
殊にニューヨークでは、書家品川哲山の個展が何度も開かれた。いずれも、幹雄さんプロデュースである。芸術を通して、父哲山の精神を最も強く受け継いだのは、あるいは幹雄さんではないか、と私は思った。
「Omen Azen」の常連客に文化人が多いのは決して偶然ではなくて、この二人の精神がバックボーンとなって築き上げられたように思う。
信仰と仕事は両輪
「ニューヨークに店を出すことは、食文化で人様に喜んでいただくということだけではなしに、神様の思いに沿って予定されたことだったのではないか?」
そう語るのは、OmenAzen開店を支えた、次女の清水満理子さんだ。
「仕事とお道の信仰、この二つは両輪。どちらかに強弱をつけては前に進めなかった」
という。
「仕事の面では、何一つ母からのアドバイスや支援は無かった。ただ、『あなたはニューヨークのお店の母親なんだから、そんな水臭いことでは人は育たん』と叱られた。とにかく、神様を頼りにする以外はなかった」
満理子さんが続けてくれた。
1977年ニューヨークに、天理教ミッション・ニューヨーク・センターが開設された。開店準備の期間を考え合わせると、まさに、時を同じくしてということになる。
場所はomenから1時間ほど離れた所にある。二人は、このセンターの月次祭を欠かさない。開店後何日も客が来ないということがあった時、店を休んで参拝すると心を決めた。その夜ニューヨークタイムズから記事を出したいと連絡があった。
不思議と、神様に向かう心を決めて動くと、物事が前に進む。そんな経験は何度もあったという。
神様へのつとめを、かげで支えてくれる人材にも恵まれた。
開店2年後の1983年。天理教会子弟で、「おめん」本店で5年つとめた20歳の篠原範夫さんが、登美さんの鶴の一声で加わり、現在まで、料理長・経営パートナーとして参画してくれている。入店のきっかけは、篠原さんの親御さんが、おぢばで見た書き物で登美さんを知り、この人になら……と思ったのがきっかけだという。
「篠原さんがいてくれるおかげで、こうして日本に帰ることができる」
と満理子さんは言う。隣で幹雄さんが深くうなずいた。
1991年ニューヨーク天理文化協会が設立された。設立には膨大なエネルギーが必要だった。そこに力を注いだ。それこそ朝から夜遅くまで、仕事をわきにおいてでも、ひのきしんに精を出した。
同じことなのだ。ここが世界布教の最前線、その思いは店のポリシーと一つになっている。
「コロナ禍にあって7割8割の店が廃業せざるを得ないような中で、続けて行けるということは、毎日が奇跡の連続みたいなもの。そのありがたさは、神様に感謝する、御霊様に感謝するというだけでは、足りない。どうやって、親神様のお望みくださる平和な文化をつくりあげていくか、そのために何をするのかが大切だ」
と幹雄さんの瞳は前を向く。
スタッフ採用の時、満理子さんの面接は長くかかる。ある時、スタッフから何を話していたのかと尋ねられた。
「面接の出会いは、一期一会。目の前の人が本当に幸せになってもらうためには、何を私たちは言わせていただいたらいいか? 私はいつも、親孝行と種まきの話をするんです。そうしますと、10人中6人7人の方は涙を流されている」
満理子さんは、面接の秘密を教えてくれた。
幹雄さんと満理子さんの弟姉の、心の底流に流れつづけてきた教えと実践の力が、にじみ出る話である。お二人の熱い思いに、ほぼ圧倒されながら話を聞かせてもらった。
神様のご恩に感謝するだけでは足りない、どうやってお返しするのか? 幸せになってもらうために何を伝えていくのか? 平和な社会になってもらうために、どうやって貢献するのか?
8月、「おめん銀閣寺本店」で、品川耕大・現社長に話を聞いた時、高校・大学を含めて10年間、ニューヨークおめんで、幹雄さんのもとで勉強されたころのことを感慨をこめて語られた。
「学生時代に自由にしていたら、何のために、ここに来たのかと叔父(幹雄さん)に怒られた。お店を手伝っていても怒られた記憶しかない。でも、それが役に立っている。経営者として、どのような状況下でも、芯になってつとめる思いがより強く堅くなったのも、10年間、ニューヨークで育ててもらったおかげ。わたしの底力になっている」
幸せになる生き方、文化の作り方、そこに全力でぶつかる品川家親子三代。教わることばかりだった。微力ながら私もチャレンジャーでありたいと思った。
【おめんのお店情報】
京都府京都市左京区 銀閣寺バスプール南隣(銀閣寺近く)
営業時間は、11時~(営業日・終了時間など、詳しいことはホームページにのっています)
電話=075-771-8994
「おめん」のホームページ=https://www.omen.co.jp/
「おめん」の通信販売もあります=https://shop.omen.co.jp/
「Omen Azen」はこちら
↓ ↓ ↓
https://www.omen-azen.com/