おぢばの献灯

 柏木庫治先生(東中央大教会初代会長)の講話のひとつに、「おぢばの提灯」というのがある。
 大祭ごとに神苑内に飾られる2万近くの提灯は、簡単に掲げられるものではない、それぞれ初代、すなわち単独布教師ひとりひとりの汗と涙、それもおたすけの上に流した汗と涙の結晶である、という感動的なお話である。

 当時講演会場であった旧天理教館に集まっていた聴衆は、その弁者の講演の迫力と熱意とで感動の歓喜に酔いしれた、という。
 そして、こうした単独布教師たちの講演会自体が「ちょうちん会」と呼ばれもしたのである。

 ところで、この提灯に灯して神苑に掲げる「献灯」というのは、いつごろから始まったのだろうか。

『写真集教祖年祭 躍動のこの一〇〇年』(道友社刊) より


 教祖5年祭には、「宿ごとに教会名の入った提灯を立て、夜は12時まで点灯した」と『中山真之亮伝』に書かれている。
 では、5年祭からか、と思えば、二代真柱様の『年祭回顧』によれば、教祖の1年祭には、宿として借りた民家の軒先に「昼は講名入りの旗を、夜は名入りの提灯を掲げ」とあるから、すでに、教祖ご在世中には、帰りくる信徒の宿泊場所の目じるしとして、提灯がその用を果たしていたのでは、と推測できる。

 現在残されている教祖50年祭当時の、以前の黒門あたりに林立する献灯風景の写真を見れば、ここに灯が入れば、その明るさに帰参者の目は奪われ、信徒たちは「おぢばに帰って」きたという感動を深くしたのではないだろうか。
 当時は、みなロウソクの灯が光源、フィラメント入りの電球と変わったのは、昭和31年の教祖60年祭から。
 その献灯も、今や人手や電気代などから、存続が「けんとう」されている、とお聞きする。これも時代の推移か、と。

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