弊社・養徳社発刊の月刊誌『陽気』で、出久根達郎さん(直木賞作家)に、天理教教祖・中山みき様がご在世当時の奈良の暮らしが垣間見える小説を書いてもらおう、という話が起こったのは2010年秋。題材を探して、行きついたのが「川路聖謨(かわじとしあきら)」。川路は、おやさま・中山みき様の49歳のころから5年あまり奈良で奉行をしていた。
その後、奈良の史料館や図書館、奈良奉行所跡に建つ奈良女子大学、その他インターネットなどで川路聖謨や奈良奉行所関連の資料を集め、出久根さんにお送りした。出久根さんは、その上に膨大な資料を集め、構想を練られたにちがいない。
そして、2013年1月号から『陽気』に連載小説「まほらま」が始まった。
2016年11月、それまでの「まほらま」をまとめた『桜奉行 幕末奈良を再生した男・川路聖謨』を発刊。その機に、小説の舞台となった「ならまち」「きたまち」でPRを展開できないかと誕生したのが、「川路聖謨と奈良を学ぶ会」だった。いま『陽気』表紙絵を描いてくださる榎森さんのお力添え、ご縁から、多くの方のご助力をいただいて生まれた会である。
出久根さんの講演会開催など、さまざまな動きをさせていただいた。
FB 川路聖謨と奈良を学ぶ会
https://onl.tw/ktQFE7D
桜奉行 アマゾンのURL
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前置きがずいぶん長くなってしまった。
表題の桂米朝さんの「米寿記念のてぬぐい」の話である。
川路の会誕生への動きをしている中で、奈良のことを研究、奈良の専門誌の編集もされていた、島田さんと知り合った。その時、出てきたのが「米朝さんからの手紙とハガキ」だった。
桂米朝さんの演目に「鹿政談」というものがある。奈良を舞台に、豆腐屋が早暁、薄暗い中「キラズ」(卯の花)の桶に首を突っ込み食べる「犬」に薪を投げつけると、犬は倒れた。ところが見ると、犬ではなく「鹿」。当時、「神獣」である鹿を殺したら死罪だった……。
この時、死罪にならぬよう、見事な裁きをした奉行を、米朝さんは「曲渕甲斐守」で演じていた。
島田さんは、米朝さんに、実際に奈良奉行をつとめた「川路聖謨」のほうがよいのでは? と、便りとともに拠り所となる資料を送った。その後、米朝さんは、「鹿政談」に登場する奉行を「川路聖謨」に変えている。その際、米朝さんから島田さんへ送られた、心のこもるお礼の「手紙・ハガキ」を見せていただいた。
その上、島田さんは、大切な「手紙・ハガキ」をわたしに託してくださった。
桂米朝「鹿政談」(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=2jSLqV-mky0
2017年3月。わたしは演目の登場人物を変えるきっかけになった話を知ってもらいたい、と、米朝さん自筆の「手紙・ハガキ」をもって、米朝事務所を訪ねた。そのころ、米朝さんの故郷の姫路、「兵庫県立歴史博物館」で開催されていた「米朝展」にも足を運んだ。そして、当時、同館の事業企画課長だった中川渉(わたる)さんにお会いした。
中川さんは、米朝さんの三男さんである。
とつぜんの来訪にも関わらず、中川さんは、わたしが持参したお父様の「手紙・ハガキ」を手に取って、じっくりとご覧になり、「鹿政談」の奉行が川路聖謨になるまでのわたしのつたない説明をうなずきながら聞いてくださった。その真摯なお姿は、今も鮮明に思い出す。
帰り際、「ちょっと待ってください」と、館の奥のほうへ走られた。しばらくして戻ってこられた中川さんは、
「これを、どうぞ」
と、桂米朝さんが八十八歳の米寿の記念に作られた「手ぬぐい」をわたしに差し出された。
1冊の本が生まれるまでの物語が種となり、生まれた本がご縁の糸を引き寄せたのか?
主人公の「川路聖謨」の御霊が、引き寄せてくださった縁だったような気もする。
『花のなごり 奈良奉行・川路聖謨』アマゾンURL
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出久根達郎さんによる月刊誌『陽気』に掲載、川路の妻・さとの話。
先月11月26日
『桜奉行』の後の『陽気』連載「まほらま」が1冊の本になった。完結編である。表紙カバーは『陽気』に漫画を描いてくださっている金巻さんとお弟子さんの高橋さんの作。題字は養徳社の元編集部員・芝光男さん。本文の前には、「まほらま」連載中、挿絵を描いてくださった、故・中城建雄さんの挿絵(川路聖謨と奈良奉行所)も載せている。
『花のなごり 奈良奉行・川路聖謨』(出久根達郎著)は、前作に負けず劣らず、読みごたえがある、と担当編集者として自負している。NHK大河ドラマ『青天を衝け』に登場した川路聖謨の、人間的な魅力、指導者としての力、物事に誠実に対処し周囲と協同して解決にあたる姿勢が、鮮明に浮かび上がってくる。
奈良女子大学北側を流れる「佐保川」には、両岸千本といわれる桜が毎年咲いている。
そのもとになる植樹運動を展開したのは、川路聖謨である。彼の志は受け継がれ、今も奈良をあでやかに彩っている。
ぜひ、ご一読ください。