毎月12日

12日更新ということで、私が毎月12日に親のすねをかじってる話を書きます。

まずは、経緯から。

教祖80年祭のときの「三千万件にをいがけ」の打ち出しを受けて、私の直属教会の青年会は近畿圏に教会がなかった滋賀か和歌山に布教に行くと決めました。

いろいろなご縁で、和歌山県日高郡川辺町(現 和歌山県日高川市)に布教拠点をいただき、活動も一通り終えたところ、幼少の頃から単独布教で教会設立という夢を抱いていた当時25歳の私の父が後を引き継ぎました。

時代劇のロケにも使えそうなくらい時間が止まったような布教拠点

若い頃は半月を単身で和歌山で過ごし、残りの半分を大教会で伏せ込むという生活をし、今は様々な御用で日数は減っていますが、以来、40年以上毎月通っています。

幼稚園に行くまでは私も連れられて数日行ったこともあり、村のおじいさんに双眼鏡を頂いて、人生で初めて海をみて感動したり、老人ホームにおたすけに行っては、同室の皆様から「握手して」とアイドルのような扱いを受けたり、こどもながらにいいイメージで和歌山布教を知ってるような気でいました。

今から10年前の12月、父が頚椎の身上をいただき、車で行くのは困難となり、私が運転手、母がサポートと3人で行くことになりました。

小さい頃のイメージで行った私は絶句。

建物はおそらく、教祖御誕生殿の比にならないレベルに古く、この障子紙のみが私を外から守ってくれるのかと悲壮感に浸りかけていたら、傾いていて、すきま風が常時吹いて極寒。

周辺はトトロの世界のような森で、離れにある鉄筋コンクリートは廃墟。お風呂はおばけでも出そうな雰囲気。

「ここに来たら、これが魅力や。全てをおたすけに集中できる、ここがええんや。」

と、ホンマに頚椎痛い??って聞きたいくらい元気な父の姿とは対照的に、どこにも不足のない身体を借りてる私の心が折れていました。

瓦も滑り落ちてくるくらいの建物
夜は怖すぎる森のトンネル
外から丸見えの森の中のお風呂

これを引き継いでやっていくの??と迷いだらけの私の心にも、到着から夕暮れギリギリまでおたすけに奔走する両親の姿を見て、これを通ってくれたから今があるんやなというのは、さすがによくわかりました。

やまとばかりやないほどに

くに/\までへもたすけゆく

(みかぐらうた 五下り目 八つ)

その日のまなびでこのお歌のときに両親の姿と重なって感動し涙が出たのは、今でも親にはひ・み・つ♡

その後、頚椎の身上から、元々あった講社を布教所にして、新たに拠点を頂くと心を定めた父は、定めたと同時に見事に何もなかったかのようにご守護いただき、翌年4月に地元桜井市で布教所を開設しました。

時は経ち、今から5年前、和歌山の拠点は空家等対策特別措置法の対象となり、取り壊すことになりました。

そして月次祭と決めていた12日を布教日に変えて、今では日帰りで一日布教にまわっています。

ここまでが長~い経緯です。

さて、日帰りになったら短い時間のなかで、父と色々と話すことも多く楽しみも増えてきました。

「先人の思いをわからせてもらおうと思って、家から和歌山まで自転車で12時間かけて行ってん。」や「行き始めて半年でバス団参して、今みたいに高速も抜け道もないなか、一週間で奈良と和歌山を3往復した。」とか、「若い頃単車で通ってたとき、神様を半月置いて帰るのが申し訳なくて、毎月持って行ってたら、あるとき落として交番に行ってな。そしたら警察の机の上に置かれてた」など、夢や笑いの話など、たくさんしてくれます。

そして、行き始めて数年の私でさえ通い先もできました。

「お父さん40年以上通っても、その家全然やったのにな」と悔しさのなかにも喜びの声で、そのお宅だけは私に譲ってくれています。

また、拠点だった裏の家の娘さんは、バス団参でこどもおぢばがえりにも参加した方で、たまたま他系統の教会の信者家庭に嫁ぎ、その教会の後継者と私が本部の食堂ひのきしんを一緒につとめていたりと、父の蒔いた種が思わぬところで繋がってたりして楽しいのです。

特に、私はこどものころから、父親が取次ぐおさづけで何度も驚異的な回復をし、父の取次ぎで神様と直に繋がってると感じているので、おたすけ先でのお話の取次ぎを一緒に聴くことや、添願いをさせてもらうときに、何の疑いも不安もなく「あ~この方たすかったな~」と思えてきて、自分自身も幸福感いっぱいになります。

こどもの頃の夢が新幹線の運転手だった私には、父のようなおたすけの素質はなく、ただただついて歩く12日ですが、私にとって大切な12日なのです。

今日も和歌山で親の背中を追いかけつつ、種を蒔いてきます。

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