家族で創る「大きな家族」(後)-兵庫県三木市・社会福祉法人まほろば―

家族で創る「大きな家族」(後)
    -兵庫県三木市・社会福祉法人まほろば―

 「まほろば」の名にこもる思い

 わたしは長年、天理に住んでいる。
 天理教教会本部の東を南北に流れるゆるやかな稜線、緑の山々を眺めていると、

「倭(やまと)は国のまほろば……」

『古事記』にある「国のまほろば」(国の中でも最もよいところ)という言葉が浮かぶ。ほっとする、何とも言えない懐かしさに覆われるのである。

法人事務所の壁にかかる「社会福祉法人まほろば」の航空写真

「まほろば」の名を冠する「社会福祉法人まほろば」の法人理念は、

「共生~互い立て合い たすけあい~」
――「人間は神の子であり 一列兄弟 互い立て合い たすけあい」
 障害のある人もない人も互いに尊重し、助け合いながら暮らす「陽気ぐらし」世界の実現を目指します。――

 と、ホームページにある。天理教の教えを芯にして目指す理想への熱い思いが、その名にこめられている。しかし、真の共同・自立支援を進めること、障がい者福祉への理解促進は容易ではない。

 創設者・門口淳(きよし)さん(5年前、81歳で出直し)の3男・承之亮(しょうのすけ)さん(52歳・法人本部副本部長)から、これまでの歩みを聞いた。(2021年12月取材)

 昭和62年の法人設立前の数年間、車で「パンの移動販売」をしていると、知的障がいへの偏見からきびしい誹謗中傷を受けた。その経験が「マッチ売りの少女的」な商売ではいけないという思いを湧きあがらせ、進むべき方向を模索してきたということだ。

「人は、人ががんばっている美しい姿に感銘を受ける」

「人は、人ががんばっている美しい姿に感銘を受ける」
 父の言葉を実践すべく、地域社会の人々に参加・交流してもらえるよう、障がい者の人たちが作業の合間に学ぶ文化活動から生まれた絵や工芸品の展示・音楽の発表会・焼き上げたパンの販売などをする「福祉イベント」を開催した。しかし、行事後、商品が開封もされずゴミ箱に捨てられているのを見て、道のりのけわしさを実感したという。

 創設から3年後の平成3年、パンや菓子など製造販売事業を「知的障がい者福祉工場『ウェルフェアまほろば』」として再編し、障がい者と雇用関係を結んで所定の賃金を払う形に変えた。経営的には大決断である。

 商品クオリティをより高め、「まほろばのパン」の知名度を上げてブランド化することが、「まほろば」への認知度アップにつながり、ひいては障がい者福祉への理解を深めてもらう一助になる。障がい者の人たちの経済的自立を後押しし、働き甲斐の向上にもつながると考えた。しかし当初は、以前と同様、誹謗中傷が絶えなかったということだ。

2019年開催の「まほろばカーニバル」のポスター

 翌平成4年から、「まほろばカーニバル」を開催。模擬店やゲームコーナー、お茶席、パンや菓子の販売コーナー、ステージショーなどをしてきた。現在では、地域の老若男女、3000人以上もの人が集まる。ボランティアの人も大勢参加してくれる、地域の一大イベントに成長している。

大人気商品となった「クリームパン」

 そうした取り組みと軌を一にして、「まほろばのパン」の名前は広まった。特に良質な鶏卵をふんだんに使ったクリームパンは、大手百貨店で売られるほどの人気商品となった。
 ブランド化に欠かせないデザイン、パン以外にもクッキーや菓子などのパッケージデザインの研究は、4男の奥さんが中心になって推進している。

「将来的には、他施設のクオリティの高い生産品の商品化をお手伝いできるようになりたいですね」
 承之亮さんの視野は広い。日本全体の社会福祉振興、ノーマライゼーションの浸透まで目標を置いていると感じた。

  男女の神の山に挟まれた土地

グラウンドのある広大な土地の航空写真を前にして(門口守子さん)

「この写真を見てください。何年前でしたかね……いつだった?」
「おかあさん、平成30年7月やで」

 創設者の妻・門口守子さん(82歳)の問いに、承之亮さんが答える。法人事務所の壁にかかる航空写真には、野球場やその他グラウンドが写っている。この広大な土地を、ご縁から購入させてもらえたことを、守子さんが熱く語った。

「では、見に行きますか」
 承之亮さんに促されて、カメラマンのYさんと車に乗り込み、守子さん母子が乗る車の後を追った。車で10分、クネクネと山間の道を走り、林の間を抜けると、パッと目の前が開けた。白壁の3階建ての建物に駐車場、その前に馬術練習場・野球場・サッカー場のある広大な施設に着いた。元某大学の宿泊研修施設だったという。

元研修施設の2階ベランダで(法人本部副部長の承之亮さん)
馬術場と男の神様の山

 2階のベランダから見渡すと、目の前に小高い山があり、林に囲まれ広大なグラウンドが点在する。地域貢献として、土日は3面の野球場やサッカー場を無料開放している。スポーツにいそしむ親子でにぎわうという。

「向こうに見える山は男の神様の山、裏側には女の神様の山、といわれる山があるんです。その間にある土地を与えていただいたということにも、神様の思いがあるのかなと感じますね」

 承之亮さんはじっと山を見つめた。

 守子さんの姿が見えない。どこへ行かれたかと探すと、2階にある卓球場から声がする。5、6人の男女高齢者と一緒に、はしゃぎながらラケットを振っている。

「わたしの同級生の方もいるんですよ。みんなに楽しんでもらえたらうれしいでしょ」

 毎週木曜日は、地域の高齢者が卓球をする日になっている、という。卓球タイムが終了すると、みなさん1階の「まほろばカフェ」へ行き、コーヒータイムサービスが始まった。おしゃれに統一された木目調の店内、カウンターの中で調理をするのは、4男の奥さん。この店のデザインも担当した。
 みなさんで談笑しながらお茶を飲んだ後、おさづけを取り次ぐ守子さんの姿があった。

1階の「まおろばカフェ」(4男の奥さん)
カフェタイムのあと、おさづけを取り次ぐ守子さん

 カフェの一方の壁はガラス張りになっている。細長いカウンターと椅子があり、ガラス越しに林の中にたたずむ池が見える。自然の風景を楽しみ、ゆったりした時間を過ごせる癒しの空間だ。「まほろばキッチン」は、4男さんを中心に運営している。最近ピザ窯を設置し、火入れをした。今後、手作りのピザを提供していく予定だという。

 グラウンドとさまざまに使用できる部屋とピザ窯もあるカフェは、地域に住む老若男女のみなさんが、互いに交流しながら、思い思いに楽しんで1日過ごせるスペースを目ざしている。

カフェの横には池がある
カンターに座ると、林の中にたたずむ池が見える
ピザ窯

真の自立支援のために

「奥の土地、買うて来い! って、生前よく父が言ってたんですよね。それが実現したんですからねえ……」

 軽4のワゴン車を運転しながら、2男の淳一さん(55歳・[重度の]知的障がい者通所施設「三木光司園」の事業所管理者)が、ここも・あそこも、とビニールハウスや畑を指さした。父の出直し翌年、購入できることになった土地は、グラウンドのある土地のほかに小高い山もあるという。その一つ、シイタケ栽培をする山に着いた。

山の斜面にそって1万本のシイタケの原木が置いてある

 1万本以上の原木が、斜面にそって階段状に整然と並んでいる。水やりのためのパイプがめぐり、菌を埋め込まれた原木たちが発芽の時を待っている。「温度と湿度の管理が命」というシイタケ栽培を、淳一さんは主にユーチューブや書籍などで独学で学んだという。

「イチゴ栽培もやってるんです。このシイタケもそうですが、収益は作業をする、施設に通う障がい者の人たちのものになります」

2男さんは休日も畑や山で作業をしている

 重度の障がいをもつ人たちの仕事場を作り、経済的自立の役に立ちたいという思いが、淳一さんを突き動かしている。母の守子さんが「2男は休日も畑仕事をしている。休む間もなしに、よくやってくれるね」と言っていた言葉と、シイタケ栽培の話をする淳一さんから発散される溌剌とした空気が重なった。

 創設者の門口淳さんが残した志、その種を受け継いだ妻の守子さんはじめ家族の絶え間ない情熱と、着実に実現させていく実行力。与えられるご縁を生かして様々な福祉事業の根を張り、芽を出して成長をつづける「継続の力」に、わたしの胸はふるえた。

創設者夫人・門口守子さん

 晩年まで、無給で通していたという門口淳さん。その生前、20年も前に聞いた言葉が、耳の底に響いてきた。

「親はいい目を見たらいかんのやね。里芋の親芋は、子どもの芋が育つために自分は栄養になっていくという、それが大事なんやと思うね」

 この思いが代々受け継がれていくかぎり、「社会福祉法人まほろば」は、地域社会で障がい者との共生・社会福祉への理解促進、そして障がい者の真の自立をめざし、「大きな家族の輪」を広げていくと思った。

社会福祉法人まほろば

住所:兵庫県三木市別所町小林字仕負谷118-111

      MAP 【地図はこちら】
TEL:0794-82-9457
受付:9:00~17:00
定休日:日祝
           11,26日(法人指定休)

【ホームページはこちら】
https://www.mahoroba.or.jp/

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この記事を書いた人

図書出版養徳社 編集課長
養徳社に勤めて30年。
2020年から養徳社が激変‼️YouTubeチャンネルが始まり右往左往。
Web magazineも始まり四苦八苦。読者の方が読んでよかった、と思っていただける記事を目指します。
趣味は自家製燻製づくりの55歳です。