今からちょうど20年前、平成14年2月の深夜、現在のふしん社から北の方向にあった旧ふしん社の一角から、火の手が上がった。
暗闇の空に上がった紅蓮の炎は、不思議にも他に類焼することなく、社屋のみ全焼した。原因は、建屋の老朽化によるもの、と下された。
すぐさま再建への道が探られた。
天理ふしん社は、さかのぼれば、昭和6年12月に天理教婦人会の提唱から「天理養徳院洗濯場」として設立されたものが母体となっている。
そして、昭和26年春に「株式会社天理ふしん社」が誕生した。
現在は、「クリーニング部」「染色部」「縫製部」、そして「販売部」の4部門で成り立っている。
火災の大節があったとはいえ、会社としての動きは一時も休むわけにはいかない。主体であった「クリーニング部」は移転先を求めた結果、現在地の天理市の南方、天理市西長柄町の地に移り即座に業務を再開。
おつとめ衣や教服やハッピなどの制作にあたり、教内の人たちからことに再開を憂慮されていた「縫裁部」と、その販売を受け持つ「販売部」は、天理本通り中央の現在地に移転した。

私には、この火災の大節には、強烈な思い出がある。
火災が起こる数週間前に、私は、もう廃棄してもいいほどにドロドロになった教服二着をクリーニング部に持ち込んでいた。
私は、催促するなど全く思わず、むしろ今後の再建を願い、あきらめ忘れていた。しかし、その年末であったか。突然、ふしん社の方がお越しになり、新品の二着の教服をお詫びの言葉を添えて差し出された。
私はほんとにびっくりした。
今回の取材を通して、火災の後始末として、誠意をもって対処されていたことを知り、その誠実さに改めて感動した。
とはいえ、再建の道すがらは容易ではなかったはずである。
しかし、確実に堅実に道を進め、現在のふしん社となってきた。
その新しい教服を届けてくださったのが、その再建に尽力された、現在は営業部次長であり「クリーニング部統括責任者」でもある、岡田良治さんである。
岡田さんから、現在のクリーニング部の現況をお伺いした。

被災後、現在地に移転、同年9月末に再稼働した当時の写真が、社内に残されている。
そこに映っているのは、アイロン台、プレス台……そして大型乾燥機。わずか数台に過ぎない。それも、あちらこちらから借り受けたものばかり。その中には、クリーニングを廃業し、素麺業に仕事替えをする人から譲り受けたものもある。

「いわば、原点ともいえる写真です」と岡田さん。そして現在。
ここでの主な仕事は、先ずは「おつとめ衣」「教服」「ハッピ」などのお道の装束一般。他のクリーニング店では扱いにくい、ふしん社ならこそ受けられるもので、もうこの道20数年という大西四四六さんの手にかかれば、アイロン捌きもあざやかにまたたくまにクリーニングされたばかりの装束が折りたたまれていく。

例えば、「おつとめの袴」。袴には、おおまかには、筒状になっている「あんどん袴」、二股に分かれている「馬乗り袴」、そして足首がしぼられている「茶袴」の三種類があり、お道で使うのは「馬乗り袴」である。

おつとめ衣の袴にアイロンをかけるには、折り目にアイロンをかけるのを誤らないように注意しなければならず、これには、ベテランの熟練した手がいるという。大西さんは、これを手早くアイロンをかけていかれる。


クリーニングの主役となれば、現在各会社や施設で使われる制服類やタオル類だが、月におよそ230種類・81000枚になる。それらを、ひろい作業場を所狭しと、現在パートの方々を含めおよそ25名で捌いている。

「あの大節から、やっと立ち上がったかな、今」と感慨深けに語る岡田さんである。
そしてこの2月。新たに「シーツローラー機」が導入された。
シーツやゆかたなどの大幅なものにアイロンをかけるものである。


仕事場には、社訓が貼られている。
「私たちは 一手一つの和を大切に 喜びと感謝の心を忘れず お客様に 安心と信頼をお届けします」
「昔も今も変わらぬ私たちみんなの思いです」と岡田さんは、語った。

クリーニング部に隣接する建物の中に、「染色部」がある。主任の山中学さんに、ご案内いただく。山中さんは、着物の本場である京都で仕事をしておられたが、天理ふしん社の社長さんからの声かけで入社、現職にある。


染色部では、白い生地を墨色に染め上げる。

先ず着物に仕立てるときに、袖や胴などの部分がわかるように「墨打ち」を施し、「上絵」で紋を入れ「防染ノリ」を貼ったあと、白生地は黒い染料と糊を調合した液体の中を通り、着色後、熱を加え乾燥されて機械から出てくる。染色機から出た直後の生地の色は茶色だが、京都の専門業者により発色させる工程を経て、黒色になって天理に戻ってくる。こうして出来上がったひと巻が、一反約12メートルとして完成される。

この機械は、山中さんが前職場から引き継いだという「染色機」で、今は日本に一台しかなく、大変希少なものである。一つの装飾文化が、この天理ふしん社で次代に引き継がれていくことであろう。





目を輝かせてひとつひとつ丁寧に説明をして下さる山中さんの顔を見ていると、一つのことを打ち込む職人の心意気を肌に感じて、私は背筋が伸びる思いがした。
こうして、反物となった製品は次の工程である本店の「縫裁部」に届けられ「おつとめ衣」に仕上がっていく。
次回に続く。
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