追悼 映画評論家・佐藤忠男さん

 去る3月22日の各紙の夕刊に、写真入りで載った訃報。

 「佐藤忠男さん死去、91歳。映画評論の第一人者で日本映画大学名誉学長」

 この記事を見た私は、たちまち46年前の22歳の私を思い出した。
 ほとんどの同級生が大学を卒業して教員を目指した中、唯一出版社を希望した私は、オイルショックの不況のさなか、運よく東京の、今はなくなった新宿の雑居ビルにあった「ノーベル書房」に入社した。
 奈良の田舎出の若造にとって、東京とりわけ新宿は想像以上に刺激的な所であった。もちろん編集の仕事は初めてのこと、本を作ることは知ってても、前知識はまったくなかった。

 入社早々上司から、編集作業は実践で覚えていくのが早いと与えられたのが、映画監督・五所平之助監督の本。
 本の名前は、「お化け煙突の世界 映画監督五所平之助の人と仕事」。映画についても監督についても、私にはまったく予備知識はなかった。


 私がお会いした時、監督は74歳。本の内容は、これまで監督が出会ってきた俳優や脚本家などからの寄稿文を寄せ集めたものに、佐藤さんの監督論が加わり、インタビューあり、シナリオありの定価3800円という、当時としてかなり高値の本であった。
 

 
 私はこの仕事で新人としては今でも考えられない多くの経験をさせてもらった。

 例えば、当時の私でさえ知っていた大女優・田中絹代さんの生前最後(死去半年前)の、五所監督の想い出についてのインタビューをNHKのスタジオで「私ひとりで」させてもらった。どうしてそんな状況になってしまったのか、今になっては全く思い出せないが、とにかく必死であった(この本の思い出は山ほどあるが、今回は主題ではないので、書かない)。

 そしてこの本で、佐藤さんは、メインである「五所平之助論」を書かれた。佐藤さんは、当時すでに映画評論家として広く知られていた(私は知らなかったが)。
 最も印象深く覚えているのが、原稿のやり取りであった。上司に言われるままに、電車を乗り換えながら世田谷区の自宅にお伺いした。向こうもこんな若造が来る思ってなかっただろうが、一瞬びっくりされたようであった。

 玄関先で原稿を受け取ったのだが、私はそれまで作家が原稿用紙に一字一字埋めていく作業というのが想像できなかった。まして、それを100枚300枚500枚、って書いていくなんて……信じられなかったのである。そんな手間暇のかかることを…、と。
 ところが、佐藤さんから手渡されたのは、400字詰めのA4判の原稿用紙に丁寧に鉛筆で書かれた約250枚余の原稿であった。(ほんとに、一字一字書き埋めてるんや!)

 すごい緊張感を覚えた。しっかり会社まで持ち帰らなければという責任感と使命であった。
 以後、私が佐藤さんと親しく話す機会はなかったが、以降佐藤さんの書かれる著書やテレビなどでのお姿には、親近感を持って読んだり拝見したりした。

 この出版社では多くの経験をさせてもらったが、1年半で東京を去り、おぢばに帰ってきた。もう本の編集などすることはないだろうと思っていたのに、縁あって編集関係が私の生涯の芯ともなった。
 佐藤さんは、そんな私にとっては忘れ得ない方であった。
 心より、ご冥福をお祈りするものである。

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