「恵みを知り・恵みを守り・恵みを生かす」―京都亀岡・保津川下り―(下)

体感する「大自然」

 舟底の板が波の動きにたゆたう。岩にぶつかり弾ける水しぶき、ギシッ、ギシッという櫂(かい)の音、うぐいすの鳴き声に風の音が重なる。点在する岩。断崖にうす紫のヤマツツジが咲いている。山の緑に囲まれた空間を進んでいくうちに、全身が溶け込んでいくような感覚に包まれていった。

 保津川下りで目にする数々の岩の中でも、書物を重ねたように見える「書物岩」は、2億5千万年前から1億5千万年前の間に、赤道付近の海底でプランクトンの化石が、5万年に5センチのペースで積み重なってできたものだ。その後、海洋プレート運動にともなって赤道付近から現在の位置まで移動した、という。

2億年の威厳! 書物岩 | ようこそ保津川下りホームページへ(保津川遊船企業組合) (hozugawakudari.jp)

 壮大な地球の歴史、太古へと誘われるのも「保津川下り」の魅力だ。

オットセイ岩
ライオン岩
真ん中に小さく写っているのがヌートリア

「あれは?」

 一瞬イタチかと思った。左岸の笹林の前に茶毛の小動物が見えた。背後で舵をとる舟士のMさんを見上げた。

「ヌートリアです。丈夫で育てやすくて、いい毛皮がとれるから、戦時中、軍隊のジャンバーの裏地などに使うために、輸入して大量に飼育されたということですね。その子孫でしょう」

「くわしいですねぇ」

「お客さんの質問に答えられないと恥ずかしいですから」

 Mさんは笑った。休日などに、図書館でいろいろ調べているらしい。的を射たガイドは旅の楽しみを広げてくれるものだ。

 先頭で竿をもつ船頭さんが、名前の付いた岩の数々を説明してくれる。「竿の跡」は、400年以上、舟先の向きを変えるために同じ場所に竿を突くことで窪みができた岩だ。「スヌーピー岩」など、名前のなかった岩に、お客さんからの提案で名前がついた岩もあるという。

 右に左に蛇行しながら、ゆるやかな流れと急な流れのスリルを味わいつつ、舟は嵐山・渡月橋へと向かう。

豊田さんに火をつけた一言

 豊田知八(とよた・ともや)さん(56歳・保津川遊船企業組合代表理事)が舟士になったのは、1995(平成7)年、28歳の時のこと。舟士教育は、お客様を乗せた舟に2人の師匠が乗り込み、舟を操りながら一人前に育てていく。刻々と変わる風向きや強さ、水流の変化の先を読み、舟の方向を瞬時に決める舵の切り方や竿の差し方を、お客様の面前で大声で怒鳴られながら仕込まれた。

――人命を預かる仕事の重さと伝統のすごみを知り、高くなりがちな頭を下げ、心を落とす修行でもあった――  
                            (2012年8月号『陽気』・豊田知八筆より)

 日々、舟に乗りながら目にする光景に、豊田さんの思いは募っていった。

 自然はなんの見返りもなく、恵みを提供してくれている。その大自然の懐を使わせてもらって仕事をしているのに、その場所が、漂着したペットボトルやトレイなどのプラスチック系のごみであふれている。特に増水後は大量のごみが狭い保津峡に押し寄せる。

 そんなある日、豊田さんは、フランスから来られた方から、

「河川ごみが目立ちますね。皆さんは何も手を打たないのですか?」

 と質問された。現状は痛いほど理解していたが、膨大な量のごみと渓谷という険しい地形での回収の難しさから何も着手できずにいた。しかし、この「一言」に、

「これは保津川下りだけの恥ではない! 地域・京都の恥であり、日本の恥ではないのか?」

「その国の川環境を見ればその国の人の精神がわかる」

 豊田さんは、一人でも行動を起こすことを決意した。2005(平成17)年のことだった。

現れた一人の同志

 ごみ拾いの話を聞いた一人の後輩舟士が、「一緒にやりましょう!」と言ってくれた。二人で川岸を歩き、浮いているごみを一つひとつ拾った。気の遠くなるような行動だったが、一人二人と協力してくれる人が現れ、10名以上の舟士が一緒にごみ拾いをしてくれるようになった。

 しかし、川岸を歩いてごみを回収しても、根本的な解決にならない。傾斜のはげしい谷や川の中にこそ大量のごみはある。ボランティアでは安全面も徹底できないし、船も必要だ。「やれることはやった」という自己満足の活動では継続できず、達成感のない活動では先細りになるのは目に見えている。会社が動かなければならない、と、豊田さんは社内での交渉を始めた。

 社内の反応は鈍かった。

「いたちごっこ。作業回数や効果も見積もれない」

 さらに問題は、「作業で災害が出る恐れ」だった。山肌は足場が極端に狭く、傾斜もきびしい。棘イバラが行く手を遮り、苔を踏み滑る場所も多い、高い崖では水面まで20メートル、落下すれば命の危険すらあるのだから、会社としては踏み出せないでいた。

「必ず安全に作業できる方法はあるはず」と信じ、豊田さんは社内担当者のもとへ粘り強く足を運んだ。心ない罵声を浴びて徒労感で心が折れそうになることも少なくなかったという。そのたびに、

「川ごみの問題は、川で生きる、我々船頭が行動しないと解決できない!」

 と自らを鼓舞し、地道に回収作業をつづけ訴えつづけた。その姿を見ていた後輩の舟士が「船頭みんなに署名活動をしましょう!」と提案してくれた。次の日、手作りの署名用紙を作り、舟士一人ひとりにお願いして回ってくれた。なんと、3分の2以上の署名が集まったのだった。

 この署名が功を奏した。社内で川ごみ回収作業の整備を本気で考えてくれる会議がもたれ、やがて安全管理の徹底を条件に、川ごみ回収の許可が下りた。数日後、70名を超える舟士たちが参加し、ごみ回収用として保津川下りの舟2艘を使用した大規模な清掃活動が始まった。

 豊田さんはこの活動に、「保津川ごみハートクリーン作戦」と名付けた。

美しい川だからこそ味わえる解放感

 舟に乗った三人の舟士の方が、全行程約16キロの間にゆっくりした流れの場所で2度舟を停め、船頭・櫂・舵を交代する。その時、舟べりを軽快な足取りで歩いて移動する。

「みなさん、じっとしていてくださいよ。動いてわたしを川に落とさないでね~」

 と、笑いを誘う。

 流れの中で舟の安定をはかるのは細心の注意がいるだろう。最後尾の席にいたわたしとカメラマンのYさんは、

「そこのカメラマンの人~、端に寄らないでよ!」

 と、何度か叱られた。軽妙な語り口で案内をしながら竿をとり、運航と舟内の安全に神経を張り巡らせる。その緊張を表に出さないところが、キャリアのなせる業だと思った。

乗船して1時間半、前方に「渡月橋」が見えてきた
舟と舟をたくみにドッキング。いか焼きの香ばしいにおいが漂ってきた

 およそ1時間30分、川幅が広くなり、波のない穏やかな流れに変わった。前方に「渡月橋」が見える。懐かしいなあ、初めて来たのは高校生の時だったな、などと思っていると、停泊した舟のそばに、エンジン音とともに物販船が近づいてきた。横づけされた船では「おでん」「いか焼き」「みたらしだんご」にビール・日本酒などが提供される。旅の終わりの宴だ、一杯飲みたい! 気分に誘われたが、我慢、「いか焼き」をYさんと頬張った。

 それも、ごみのない美しい川であればこそ、味わえる解放感だ。

トロッコ列車嵐山駅
川下りの後は、嵐山からトロッコ列車
他を抜く、で、「たぬき」商売繁盛の縁起物(トロッコ保津峡駅)

全市的に広がった環境保全活動 
 
 2005(平成17)年に一人からでもと始めた豊田さんの活動は、市民や行政、専門家を巻き込み、2006(平成18)年の保津川開削400周年記念事業実行委員会設立へとつながった。“ふるさとの川”への誇りを再認識し、後世に伝えたいという思いは各種イベント、市民参加の漂着ごみ回収などにつながった。

 社内には「エコ・グリーン委員会」が設立され、豊田さんは初代委員長になった。そして、保津峡の桜の再生植樹活動を進めた。社内での理解も進み、ごみ回収のためのラフティングボードを購入してもらえた。「この美しい保津川の自然を借りて我々は生きていけるのだ」という豊田さんの思いを、志を同じくする船頭仲間が支えてくれたおかげだと、彼は言う。

 開削400周年を機に始まった環境保全活動を受けて「NPOプロジェクト保津川」を設立。地元住民の方へも保津川美化活動は浸透し、毎月の「クリーン作戦」と名付けた流域の清掃には、大手企業も参画してくれるようになった。

トロッコ列車亀岡駅から保津川下りまで 馬車もある この馬が巨大で驚いた

 こうした活動は、2012(平成24)年、亀岡市で、内陸部の自治体で初めての「海ごみサミット」を開催。保津川から海ごみを無くす取り組みの発信につながった。亀岡市では、「世界に誇れる環境先進都市」を実現するため、2018(平成30年)12月に亀岡市と市議会で「かめおかプラスチックごみゼロ宣言」を行った。

 そして、2021(令和3)年から、亀岡市では「レジ袋禁止条例」が施行された。そういった活動が、前回の記事の「HOZUBAG」(パラグライダーの廃棄生地を使用したエコバッグ)へとつながってきている。

 空から落ちる一滴の水が、地上や地中から集まり細い筋になり、細い川になる。細い川が集まり、大きな川になって海へ注ぐ。そして雲が生まれ雨が降り、一滴の水が集まり……そのようにして水は循環している。その循環の中で、わたしたちの暮らしから生まれたごみが川を汚し海を汚し、海洋生物を死に追いやっているとしたら、報いはわたしたちに返ってくる。

「保津川下り」のコース脇では オートキャンプ場もオープンしている

「保津川下り」での船旅は、わたしに大自然の恵みを肌身に感じ、守らねばいけないという意識を強く目覚めさせてくれた。豊田さんから始まった歩み、亀岡市の環境保全への全市民的な動きを目にして知ることは、地球規模の環境保全へとつながっていくのではないか。その道を切り拓いた豊田さんの志を支えたのは、「ふところ住まい」(この世は神の身体、その中で人は暮らしている)、「ひのきしん」(神様に守られ生かされている「かりもの」の身体に感謝して行う行動)の教えに基づく精神の力だった。

 彼の思い描く未来図は、まだ始まったばかりなのかもしれない。川の流れのように、留まることなく、彼や保津川下りの舟士のみなさんは歩みつづけていくのではないだろうか。

保津川下りの乗り場近くに立つ記念碑。夏目漱石は、作家専業になる前に「保津川下り」をした
夏目漱石の人生の船出と「保津川下り」の大転換、その時期は同じだった
漱石の記念碑の横で、現在進行形の新たな動きを語る豊田さん


ようこそ保津川下りホームページへ(保津川遊船企業組合) (hozugawakudari.jp)

保津川遊船企業組合
621-0005 京都府亀岡市保津町下中島2
TEL 0771-22-5846
営業時間 9時から17時(電話 8時より)

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

図書出版養徳社 編集課長
養徳社に勤めて30年。
2020年から養徳社が激変‼️YouTubeチャンネルが始まり右往左往。
Web magazineも始まり四苦八苦。読者の方が読んでよかった、と思っていただける記事を目指します。
趣味は自家製燻製づくりの55歳です。