明るく愉快な姉妹
「櫻井大教会(所属)の吉永小百合です」
深々と頭を下げて両手をつかれた私は、思わず、
「養徳社の高倉健です」
と返した。
「ひやぁ、健さんやて」
ころころと笑う妹さんに目をやりながら、お姉さんが笑い声をあげる。
「妹はいつもこんな感じなんですよ」
奈良県中部の吉野郡下市町、幹線道路から山間の細道をくねくねと登った上にある教会。緑の山々の間に街並みを見下ろす、絶景だ。妹さんは、ここ栃原(とちはら)分教会の前会長夫人・北平節(きたひら・みさお)さん(72歳)、そのお姉さんが、今回ご紹介する「柿の葉すし よいよい」の代表、西村富代さん(79歳)だ。
西村さんの声がとても聞きやすくて、実によく通る声だなあ、と思っていると、節さんの娘婿の現会長さんが言った。
「(商品を販売している)道の駅で、『あぁ、おったおった』って手をたたきながら入ってこられるお客さんも多いんですよ。おばちゃんの声が聞こえたからって。いい声、してるんですよね」
西村さん姉妹は、栃原分教会の信者さん家庭に生まれた。両親、特に母親の熱心な信仰に感化されて育った妹の節さんは、教会に足しげく運んでいた。23歳の時、栃原の上級教会の会長様から、
「神様と結婚せえへんか」
と、声をかけられた。6人姉兄の末っ子の彼女が後継者のいない教会へ養子に入る話に、みんな反対した。半年間、職場での仕事も手につかずに悩んだ節さんはある日、自然に足が向いて歩いて1時間半、教会へ参った。そして、教祖のお社に向かって深々と拝をした時、
「がんばりや……」
胸にしみわたる慈愛に満ちた声が聞こえた。いつも教祖がそばで見守ってくださる、教祖と一緒に歩ませてもらえると思い、養子に入ることを決めた、という。
後年、節さんは栃原の会長様から聞いた。節さんの母は、彼女を身ごもった時、家の経済状態を案じて下ろそうとした。まさに病院へ行こうと玄関を出たところでバッタリ会長様と会った。いきさつを聞いた会長様は、
「その子、私がもらうわ」
と言って引き留められて出産した、という話だ。会長様の一言からこの世に生を受けた節さんが、その教会へと引き寄せられたのだった。
「これだけ売るようにしたらええんや」
姉の西村さんは、教会と同じ下市町の川ぞいの街中、大阪市と三重県熊野を結ぶ国道309号(下市街道)沿いで、菓子の卸業をする主人と結婚した。身内の事情もあり、借金を抱えにっちもさっちもいかなくなり、平成元年(1989)から定食と弁当の店を始めた。中でも「柿の葉すし」は好評で、川向かいにあったアパレル工場の従業員が買いにきてくれた。
西村さんは言う。工場には、節さんが20歳のころから教会へ養子に入るまで勤めていた。昼休みなどに、節さんはせっせと周辺のゴミ拾いをしていた。神様から借りている身体に感謝して「ひのきしん」をする妹の姿を眺めながら、
「もうはずかしい、やめてほしいわ、と思ってたんですよ」
カラカラと笑う。西村さんは妹が教会へ入ったことで足を運ぶようになり、神様との縁が強く結ばれ、信仰を深めていくことになった。
定食屋を始めて20年近く経ち、経営がうまく行かず悩んでいた時、当時節さんの娘(現会長夫人)が入った、女性が布教体験・教えの研鑽をする天理教大阪教区の「大阪女子布教修練所」の責任者だった、辰巳文江さん(故人・双分川分教会長)が店に来てくれた。親身に話を聞いてくれた辰巳さんが言った。
「この柿の葉ずしは美味しい。これだけ売るようにしたらええんや」
この一言が、「柿の葉すし よいよい」の原点となった。
辰巳さんは若いころ、銀行につとめていたという。融資申請にきたお客さんを陰から見て、〇か×かの意見を上司に伝えていた、という話だ。先を見通せる人とのご縁を教会のつながりからいただいた。このことは西村さんの信仰熱に拍車をかけたにちがいない。
新聞の折り込みチラシを見て
奈良県吉野郡下市町は、「割り箸発祥の地」である。南北朝のころ、後醍醐天皇に杉箸を献上したという話がある。江戸時代に吉野杉で作る酒樽の端材がもったいないからと割り箸を作るようになり、現在は建築製品などに製材後、残る部分だけを利用している。同じく南北朝のころから、ヒノキで作る「三宝」「神具」も特産品だ。そして「柿」。教会のある栃原地区は昔から名産地で、「栃原柿」という品種がある。柿の葉寿司に使う葉の生産もしているということだ。
奈良には柿の葉寿司の店がたくさんある。味はよくても、購買ルートがないと経営は成り立たない。宣伝力も必要である。
「柿の葉すし」一本でいくことにした10年前、西村さんは新聞の折り込み広告で、「あなたの〇〇売りませんか」の文字を目にした。和歌山・大阪・奈良で店舗展開する、地場産品の店「産直市場よってって」が新規開店にあわせて出店者を募集していたのだ。店の在庫を手に走った。その時は「不合格」だったが、改めて作り立てを持っていくと、「合格」が出た。ちなみにこの店は、奈良県橿原市にある天理教八木大教会の隣にある。
西村さんは、持ち前の声と明るい笑顔に、「お茶」と「試食」のサービスでお客さんを引き寄せた。やがて、「よってって」の店長が、新規入店した人たちに、
「あの、“よいよい”のおばちゃん、見てみ」
と言うほどになる。その後、店長の転勤先の店にも置いてもらうようになり、他店の店長が見て置いてくれるようになり……と、10店舗で販売するようになった。
秘伝の味と信仰の両輪
「おぢばがえりの時、教祖にお供えさしてもらうようになってからですわ、それから……」
8年前、妹の節(みさお)さんのすすめで、その日1番にできた「柿の葉すし」を教祖にお届けするようになったころから、思いもしないことが起きてきた、と言う。大腿骨骨折から西村さんが通う整形外科の医師が、東京出張のたびに「手土産」にと買いに来てくれていた。医師の知人から、旅行会社の「ベルトラ」を紹介された。ホームページでPRしてくれ、2021年7月からは全日空の機内で配られる「食べる世界旅行」のカタログでも紹介されている。
また、西村さんの娘婿のご縁から、大規模なイベントでの「出店」が実現した。たまに大型バイクで買いに来るお客さんと馴染みになったら、その「兄ちゃん」が実は会社の社長で、社長のご縁から購買先ができた。大手コンビニからのオファーも入ったが、個数が多すぎて、「手づくり」へのこだわりからお断りした。大阪から月に1度、400個から500個買いに来るお客さんもできた。もちろんご近所の人も通ってくれる。若い人が「インスタ」で投稿してくれて、通販での申し込みも増えた。縁が縁を呼んでつながっていった。
「ふぞろいも、手づくりの証なんです、それで買ってくれる人も多いんです」
すしめしを1個1個型に入れて、塩漬けした「さば」や「しゃけ」の切り身をのせてにぎる。身内の数名で作る「柿の葉寿司」は、1日1600個。米1升(10合)で100個、4升だきの炊飯器で4回。水加減、炊き上がりに細心の注意を払う。
上にのせる「さば」の切身は、塩加減と塩漬けする時間が命。春夏秋冬で塩加減と時間を調整して、2、3日たっても美味しい味を追求している。祖母直伝の作り方を西村さんが継承して、その時々にあわせて作っている。このレシピは、現在は町役場でつとめる息子さんが、やがて後継する時まで部外秘である。
「よいよいのお店を通して、参拝に来てくれる方がいるんですよ」
会長様が言う。西村さんは、お客様との交流が大好きだ。自然とお道(天理教)の話をしていて、彼女の話から教会にお参りに来る人や信仰を始める人がいる。そして、教会では、これまた親切で明るい妹の節さんが話を聞いて、教えをやさしく説く。
仲の良い姉妹が、商売と信仰の両面で固く結ばれている。姉妹を中心にした家族が明るく円満に暮らしながら、商売を展開している。神様へと日々心を寄せながら、お客様第一に手づくりの「柿の葉寿司」を提供する。これが、「柿の葉すし よいよい」の発展の秘訣だろう。
「下市町の柿の葉すし」は、文化庁が日本各地の魅力的な文化・伝統を語るものを認定する「日本遺産」に登録されている。同町内で認定を受けているのは、「よいよい」と他1店舗だけである。秘伝の味とともに信仰が受け継がれるかぎり、「よいよい」はこれからも繁盛の道を歩んでいくのではないだろうか。
【柿の葉すし よいよい】お店のホームページはこちら↓
柿の葉寿司 よいよい (goope.jp)
【ベルトラ】のホームページはこちら↓
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