神様のそばで打つうどん―天理本通り・たまちゃんUDON―

自由を求めて―東京へ

 大阪の山間部にある天理教の分教会で、5人兄弟の3男に生まれた。幼いころからどこか自分が天理教であることにコンプレックスを持って育った。天理教が嫌いというわけではないが、成長するうちに、周りの友達と同じ生活ができないことに気付き、人並みに自由な暮らしをしたいという思いは募る。親の勧めで20歳で修養科に行った後、1年間、天理教教会本部境内掛で勤務した。

“親孝行ができた。これからは自分のしたいことをしよう”という思いが芽生えはじめた。

 その後、境内掛同期の友人と2人、東京へ出た。六畳一間に住み、飲食店で働いた。

「毎日、楽しかったですね。自由を手に入れたようで、旅行にも行ける生活に、満足していました」

 たまちゃんUDONの店主・北出竜三さん(46歳・明九分教会教人)は、言葉を一つひとつ、刻むように口にした。

問いかけた言葉をかみしめてから答える北出さん 誠実さがにじむ

 居酒屋で4年つとめたころ、東京でできた友人に誘われ「うどん店」で働く。うどんの奥深さにはまり、「うどんで生きていく」と決めた。25歳。

 4年後、店舗経営のマネジメントを学びたいと、店舗展開する店に入る。

 2時間待ちが出来るほどの有名店で、早朝から終電までみっちり働いた。帰れないときは仕方なく、六本木のクラブで朝まで過ごすことも多々あった。

 ある朝のこと。出勤していつものロッカーを開けようとした。4ケタのキー番号が思い出せない。おかしい。30分しても思い出せなかった。その場で退職の電話をかけた。

「お道(天理教)から遠のいて、なんてしあわせなのかと、思いながら暮らしていたんですけどね……」

 32歳。うどんで生きていく思いは変わらず胸にある。少しの間、心と体を休めた。そして、次の働き場所を探し、東京にある群馬の郷土料理を出す店へ面接に行った。群馬はうどん文化の盛んな地である。

店内で麺を打つ 素材にこだわった手打ち麵は絶品


人生の分岐点―出会い

 目的地へ向かう列車が、レールの切り替え点で次のレールに乗り換えるように、ふりかえると人生には、いくつかの「分岐点」がある。

 竜三さんが選んだ地域にうどん店は2店あった。店のつくりがおしゃれなほうの店へ面接に行った。様々な宗教を信仰する方が混在する街、東京。面接で不利になることをおそれ、境内掛1年間の勤務のことを隠し履歴書を出すと、社長は「空白の1年」のことを尋ねてきた。「この1年、どうしてた?」と。そこで、修養科・天理教教会本部境内掛でつとめたことを話した。

 竜三さんの説明を聞いた後、返ってきた社長の言葉に耳を疑った。

「へぇ~、俺も修養科入ったんだよ」

 社長は群馬県出身。県内有数の進学校・太田高校出身だった。同校出身の品川要治さん(「名代おめん」創業者品川登美さんのご主人・初代取締役)が、母校出身者を社員に雇いたいと募集をかけ、入社したということだった。「おめん」で修業の後、自分の店を開いた。

「名代おめん」創業者の品川登美・要治夫妻

「名代おめん」は、京都の銀閣寺そばにある本店、四条先斗町店、ニューヨークにも店がある。本店は現在で創業50年、行列の絶えない人気店だ。「おめん」とは、季節の野菜などをつけ汁に入れてうどんと一緒に食べる、品川要治さんの実家のある群馬県伊勢崎の郷土料理の呼び名である。

 品川登美さんは、天理教の信仰を芯に店を経営していた。店舗の上の階で拍子木を叩き、おつとめをつとめた。社員にもにおいがけ(布教)をし、おたすけをした。修養科も勧めていたのだった。

 天理教から離れようとして東京へ出て14年あまり、竜三さんに、天理教の縁の糸が結ばれたのだった。

「社長は、東京へ出てきてから、初めて本心で話せる人でした。社長とのご縁から、生まれながらの天理教で、自ら求めるものでなかった天理教の教えを、ふりかえる機会も与えてもらった、と思いますね」

 当時のことが思い返されるのだろうか。ひとつひとつの言葉に熱がこもる。目が少し潤んだように見えた。

「おめん」との縁―ニューヨーク一人旅

 竜三さんがこの店で働いて7年、40歳のころだった。妹さんから電話がかかった。不幸事かよろこび事か? ドキッとしながら電話に出た。それは、隆盛でない実家の教会の行く末を考えての、訴えにも似た内容だった。

 電話を切った後から、竜三さんの胸はざわつき、やがて痛み始める。境内掛の1年間で親孝行は済んだように満足してしまっている自分。小さな教会で、人々のたすかりを願って、朝夕のおつとめをしていた両親の姿と、教会の子として生まれた自分のことを我が子のように可愛がってくださった信者様のお顔が次々浮かぶ。自由になりたいと、東京へ出て20年、好き勝手やってきた自分が、情けなくなった。

「あのときの感情は、自分でも、なんともつかめないものでした……」

 うどんで生きていく思いはゆるがない。しかし、このときの竜三さんは、胸の中で湧きあがり、渦巻いて動きを止めない、形にならない重いものを抱えたまま、これまでのように働くことは、無理だったのかもしれない。

「名代おめん」ニューヨーク店


 齢40歳。次の20年間の人生を考えたい。うどんと天理教の信仰と……。お世話になった店をやめて、1人ニューヨークへ向かった。

 海外では、ラーメンからうどんへ。これからは、うどん、というトレンドを現地で見たいと思った。うどん屋めぐりをした。そして、おめんのニューヨーク店「NEW YORK OMEN (OMEN AZEN)」の暖簾をくぐった。カウンターに座った。

「ご旅行ですか?」

 女性店員に問いかけられた。おめんで修業した人の店で働いていた、と話した。5分後、品川幹雄(NEW YORK OMEN社長・故人)が現れた。これまでの人生や、なぜニューヨークに来たのか、話していた。

「天理教から逃げていた自分が、天理教を武器にして話をした、というか、自分でも、なんなんや俺は、と思いました」

「名代おめん」ニューヨーク店 中央が社長の品川幹雄さん 芸術家・文化人が集う店だ 右端は俳優のリチャード・ギア

 2日後、幹雄さんは竜三さんをニューヨーク天理文化協会へ案内してくれた。布教拠点のニューヨークセンターの関連施設で、日本文化を伝えるイベントや講座などをしている場所である。幹雄さんは、天理教の海外でのにおいがけの現場を見せ、違った視点で教えに触れる機会を与えてくれた。

 このとき、ニューヨークのおめんで働いたらどうか、という話が出た。

 8日間の滞在後、日本へ帰った。しばらくして、迷った末に、ニューヨークのおめんで働く決意をし、渡米まで銀閣寺店で働くことになった。

 1人でニューヨークへ渡る前のこと。おみくじなど引いたことのなかった竜三さんは、ふと思い立ち、東京の神社でおみくじを引いた。

―この春 桜の咲くころ ある男性に出会って あなたの 人生は変わる―

 まだ桜には早い時期だったが、幹雄さんに連れられて行った天理文化協会で早咲きの桜を見たことを、竜三さんは鮮明に思い出した。

おぢばへ―母のひと言から

 桜が満開のころ。竜三さんは銀閣寺そばの「名代おめん」で働き始めた。商売をしながら、店の上の階でする講社祭に、鳴物の手がそろう。従業員が信仰をもとにして生き生きと働く姿に衝撃を受けた。実家の教会を盛り立てる道、そのヒントがあるかもしれないと感じた。

 竜三さんの胸の中で、また形にならないなにかが、動き始めた。幹雄さんには叱られたが、ニューヨーク行きを辞退し、銀閣寺店で働くことに決めた。そのときの思いを彼は言葉にしなかった、できないのかもしれない。これも、神様の働き、手引きの糸だったのかもしれない、とわたしは思う。

 そして、おめんで働いて2年、自分の店を持ちたいという思いが生まれ始めていた。仕切り直しのため、おめんを退職して大阪の実家の教会へ帰る。43歳。このときの母のひと言が、大きな分岐点となる。

「えぇ機会やから、教人資格検定講習会に行ったらどうや?」

 2020年2月27日、日本国中がコロナの流行で揺れる中、竜三さんは講習会に参加した。朝夕、詰所と講習会場を往復するうちに、子どものころ目にした天理本通りのにぎわいを思い出した。シャッター街になった商店街が、さびしい。

「天理で、うどん屋をしたい!」という思いが湧きあがってきた、突き上げてきた。

 そこから3年。奥様の貴美栄さん(42歳・品川登美・要治さん夫婦の孫)と2人で力を合わせ、令和5年3月3日の開店へとこぎつけたのだった。その裏には、書きつくせないほど、数々の天理の人、天理教の人の力添えがあった。

貴美栄さんの姉・普照珠子(ふしょう・たまこ)さん

 今回の取材には、京都から貴美栄さんのお姉さん・普照珠子さん(45歳・株式会社おめん取締役)にも同席をお願いした。「たまちゃんUDON」の「たまちゃん」は、貴美栄さんが、おめんで一緒に働き、遊びに行くのも一緒、仲の良かったお姉さん(たまこさん)の名前からつけたと聞いたからだった。

 珠子さんがいう。

「竜三さんには、おぢばへ参拝に来られた方に、よろこんでもらえるうどんを提供したい。おぢばがえりする人が1人でも多くなる、お手伝いができたら、という思いがあるんです」

 そして、祖母である品川登美さんが「おめん」にこめた思い―食を通して社会に貢献する―。それは、おめんの看板を通しておたすけをしたい、という思いだった。

「2人にはこのおめんの原点・元一日を忘れずに、(物事が)成ってくる理を大切にしてほしいです。神様のおひざ元で店ができる、というのはすごいこと。かしもの・かりものの体に感謝して、勇んでやってもらいたいです」

 竜三さんに、この店にこめた思いを聞いた。

「手打ちのよさにこだわり、食材にもこだわって、お客様に提供しています。ここのうどんは美味しいな、このうどんを覚えたいな、という人がいれば教えたい。夢ですが、全国の教会のそばでうどん屋をして、人が集まるような店にして自分の教会を盛り立てていく、という姿が生まれたら最高です」

貴美栄さん
天理教教会本部から天理本通りに入ってすぐのところ
たまちゃんUDON
夫婦で作り上げる

 奥様の貴美栄さんは、

「うどんって、子どもさんからお年寄りまで、だれもが好きな食べ物ですよね。主人の打つうどんは、ほんとうに美味しい。『美味しかった』っていわれるときのお客様の笑顔がうれしい。いっぱいのしあわせを感じます」

 近所の人も、遠くからおぢばへ帰られる人も、食べて「あぁ、しあわせやな」と思ってもらえること、それが最高のよろこびだという。

 最愛のご主人との出会いは、祖父・品川要治さんが、母校の出身者の社員を募集した。社員だった人が、面接に来た竜三さんと出会い、貴美栄さんと竜三さんが出会い、今へとつながっている。

「大好きだった祖父が、今日まで導いてくれたような気がしてならないんです」

 と、貴美栄さんは大きな目を赤らめた。そばで竜三さんが、深くうなずいた。

北出さん夫婦と珠子さん


【たまちゃんUDON】のインスタグラム(新作メニューやその他情報を発信している)
https://www.instagram.com/tamachan_udon/

●住所/天理市三島町428-3
●電話/080-2661-9445
●営業時間/9:00~17:00 ※15:00からは、面が売切れ次第終了
●定休日/水 その他休業日/毎月8日

【たまちゃんUDON・Youki Tubeでご紹介】
 https://youtu.be/rVvy9degjDo

【「名代おめん」の紹介記事(Webマガジン陽気特集記事)
 https://onl.bz/Rb3xCDX(1話目)
 https://onl.bz/ZqrxJ2w(2話目)

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この記事を書いた人

図書出版養徳社 編集課長
養徳社に勤めて30年。
2020年から養徳社が激変‼️YouTubeチャンネルが始まり右往左往。
Web magazineも始まり四苦八苦。読者の方が読んでよかった、と思っていただける記事を目指します。
趣味は自家製燻製づくりの55歳です。