音のお供え―100年前からの“糸”をつないで―琴・三絃 やまもと―

京の街でつながれた糸

 京都の河原町。古の都の繁華な往来で天理教の布教師から声をかけられた男は、もともと神仏・信心が好きで、いくつも神棚を祀っていたが、布教師の説くお道(天理教)の話に興味をもった。布教師のもとに足を運び、教えを求め、やがて神棚をはらって天理教1本になった。

 大正初期のころ。20代後半の男の名前は、山本謹次郎さん(初代謹進)。「琴・三絃 やまもと」現店主・山本久由さん(50歳・中眞分教会役員・東中眞布教所長)の祖父である。

 明治20年(1887)12月、静岡市に生まれた謹次郎さんは、13歳から大工の道に入り、京の地で20歳過ぎで一人前になった。大店のお抱え大工として身を立てていたが、ある日、道端ですれちがった老齢の大工の姿に、自分も年老いたら……と思い、年老いた姿を人さまに見られない仕事に就きたいと思った。一念発起、琴作り職人へと転身した。

初代謹進(「やまもと」HPより)
初代謹進の作品(店で保管している写真を撮影)

 京都で生田箏の制作方法を学びながら、楽箏(がくそう・雅楽でリズム楽器として使用)の制作方法も習得した。元大工だけあって筋が良かった。瞬く間に一角の琴職人になった。

 大正11年(1922)に始まった「教勢倍化運動」のうねりの中で天理教校別科(現修養科)を修了、信仰を深めた。教祖30年祭の2年後、天理教教会本部より依頼を受け女鳴物の管理を始め、そして、大正15年の教祖40年祭より、天理教教会本部神殿で使用する琴・三味線・胡弓をお供えした。

初代謹進から2代目謹進へ

 生田琴制作を極めた謹次郎さんは、安住の暮らしを捨てて、山田琴の制作を学ぶために東京へ出る。そして、昭和5年(1930)、勉さん(2代目謹進)が生まれた。

 勉さんは父に勧められるまま12歳ころから琴作りの修業を始めた。朝、琴作りに必要な炭火を熾してから学校へ行き、帰宅後、謹次郎さんの仕事を手伝った。中学生時代(15、16歳)、謹次郎さんのもとで生田琴・山田琴・17絃琴・楽箏などの制作を学び、山田琴を主とする制作方法を習得していった。

 謹次郎さん(初代謹進)は、日本で1、2を争う琴作り職人だった。著名な箏の演奏家・作曲家で、筝曲に洋楽を取り入れて新しい日本の音楽を創始した宮城道雄さん(正月に流れる箏と尺八の演奏による「春の海」は誰もが聞いたことがあるはず)の琴の8割から9割は、謹次郎さんか弟子の鉄斎さんの作と言われている。宮城さんが考案した17絃琴も謹次郎さんの創作である。

 日本一と言われる箏奏者の琴を作る謹次郎さんの下で、勉さんもまたその腕を磨き、戦後、高校卒業後この道に入った。

2代目謹進(「やまもと」HPより)
2代目謹進作 「鳴龍/口前」(「やまもと」HPより)

 昭和29年(1954)、24歳のとき、2年後の教祖70年祭を前に天理教教会本部神殿の鳴物が新調されることになり、布教所長でもあった謹次郎さんが20年ぶりに琴・三味線・胡弓を制作してお供えした。

 その後、道具の整備を頼まれた勉さん(2代目謹進)は、教会本部で教祖の年祭や大祭、教祖誕生祭、月次祭、元旦祭など、すべてのおつとめに東京から出向いて前後数日間、おぢばに滞在するのが恒例になった。

 謹次郎さん(初代謹進)が昭和51年(1976)4月18日、90歳で出直した。

 その後、教祖100年祭の4年前、昭和57年に、教会本部の鳴物整備のため天理市へ移住したのだった。

2代目謹進が創った琴
万葉集の歌札のデザインを施してある
2代目謹進が初孫(女児)誕生のよろこびで創った琴の装飾
5月生まれにあわせ 口前・龍舌は
京都・葵祭の前儀「流鏑馬神事」にしてもらったという
店のフロアの壁には 琴作りに使う各種道具が展示してある


平原まことさんとのご縁の働き

 天理へ移住したとき、山本久由さん(「琴・三絃 やまもと」現店主)は9歳だった。

 近所の天理教会から鼓笛隊に参加し、音楽に親しんだという。天理中学で吹奏楽部に入った。特別やりたいわけではなかったが、

「年上の知り合いに勧められて、成り行きで……」

 という。入部のとき、演奏したい楽器を希望するのだが、その時も「成り行きで」ユーフォニアムというチューバを小さくしたような楽器に決まった。熱心ではなかった、と言うが、上達は早かったようである。

現店主・山本久由さん 素人にもわかりやすいように
たとえを用いて琴のことを話してくださった

 天理高校でも、これも成り行きで吹奏楽部に入り、進学した近畿大学でも吹奏楽部に所属した。4年生のときには学生指揮者を務め、あと1年の在学中、請われて天理高校吹奏楽部のコーチになり、現在もつづけている。

「琴作りは、小さなころから教わったんですか?」

「仕事場は刃物があるから、危ないから入るな、と言われてましたし、学校から帰るころには、父は仕事を終えて一杯飲んでましたから、見る機会はなかったんです」

 日本で有数の琴作り職人を祖父にもち、2代目の父もその世界で超一流だったが、久由さんは、琴作りの世界に入る気はまったくなかった。大学卒業後、東京で、さまざまなジャンルの音楽を録音する仕事に就いた。2年ほどで会社の事業再編があり、異業種への転属を勧められたが、音楽関係で生きようと思っていた久由さんは、会社を辞めることにした。

 仕事のときだった。シリーズ物の録音のため、各種楽器の演奏家をスタジオに呼んで、さまざまな音楽を録音した。洋楽の楽器と邦楽の和楽器もあった。

 箏は当日、日本で1、2の演奏家。同シリーズで、サックスを故平原まことさん(天理高校吹奏楽部出身・歌手平原綾香さんの父)が演奏した。先輩であり、ご夫婦で親身になって何かと心をかけて世話を焼いてくださった方だ。奥様は仕事を辞めることを心底心配してくださっていた。

このとき、箏の音に、初めて心を揺さぶられた。自分でも驚くほど新鮮に感じたのだ。

「それまで琴作りに否定的だったのが、この日、プラスマイナスゼロになったんです。平原さんとのご縁が、この仕事を継ぐきっかけになったと思いますね」

 26歳で天理の実家へ帰った。琴作りの修業に出ようと、京都での丁稚奉公先を探したが、業界は右肩下がり、電話番ぐらいしか仕事がない、ということで断念した。父のもとで修業を始めた。

甲焼き
真っ赤に焼いた鏝(こて)で木の表面を焼き
 表面をこすってきれいな木目を出す(2代目謹進)
綾杉彫り
音を良くするため 裏板に鑿(かんな)で彫り込みを入れる
(2代目謹進)

親神様・教祖により満足していただける音を

 奥の部屋で久由さんの話を聞いていると、表の部屋から箏の音色が聞こえてきた。奥様が、写真家のYさんを相手に、実演しながら琴の説明をされているようだった。耳から入った箏の音が、す~っと胸にしみ込んでいく。何とも言えず心地よい、気持ちが穏やかになる。

 話は、初代の祖父、2代目の父、そして久由さんの話から洋楽と邦楽の違いへ進んだ。

琴柱(ことじ)を立てて音出しの準備をする店主夫人
爪をつけて実演をする店主夫人

「音には、絶対音と相対音というのがあります。洋楽は絶対音、一つひとつの音符の音に合わせて楽器を演奏する。邦楽は相対音、主になる楽器や人の声に音に、お互い楽器や声を合わせていくんですね。相対的です。おつとめは、それですよね」

 奏でる中で、芯に合わせて数多くの人の心が一つになる。自然と一体感や高揚感が高まっていく。天理教教会本部や教会のおつとめを思い返して、なるほどと思った。

「わたしは、おつとめの鳴物は、親神様・教祖に“生の音のお供え”をしていると思っているんです。この音、いかがですか?と、より満足していただける音をお供えしたい、という思いで仕事をしています」

 父の後を受けて、10年前から毎月各おつとめの数日前より、教会本部の鳴物の調整・メンテナンスをしている。決して誇張はしない語り口なのだが、ご用にかける熱い思い、信仰の一端を垣間見た。

 琴や三味線などのことで質問を受けたとき、「弾き方が悪いのか・楽器が悪いのか」を判断して答えられなければいけない。だから久由さんも奥様も、琴・三味線の師範免状(奥様は胡弓も)を取得している。楽器のメンテナンスに加えて、体格によって琴を弾くときの座り位置や構え方など、一人ひとりに合うアドバイスを心がけている。何も知らない人にもわかるように教えることが務めだと思っている、という。

 教区や支部、教会などへ出張でメンテナンスに行き、弾き方(構え方)を教えることもある。ブラジルからライン電話で相談を受けることもあるという。おつとめを前に、「音が出ない」という質問に的確に答えられなければいけない。

「100年つづいた道を切らせるのはしのびないですよね。100年つづいた道を次へつないでいく、それがわたしのプライドにつながっています」

 100年前、京の地で一人の布教師がにおいをかけた、そこから生まれた縁の糸から、教会本部神殿で使用される鳴物が生まれ、整備をする家が今へとつづいている。 初代謹進は、教祖90年祭の年の教祖ご誕生日・4月18日に90歳で出直している。

100年つづいた道を受け継ぐ 「琴・三絃 やまもと」のご夫婦


◎「琴・三絃 やまもと」
  〒632-0063 奈良県天理市西長柄町65−1
  ℡ 0743672172
  http://www.koto3gen-yamamoto.jp/



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この記事を書いた人

図書出版養徳社 編集課長
養徳社に勤めて30年。
2020年から養徳社が激変‼️YouTubeチャンネルが始まり右往左往。
Web magazineも始まり四苦八苦。読者の方が読んでよかった、と思っていただける記事を目指します。
趣味は自家製燻製づくりの55歳です。