一すじの道―京友禅の型彫り50年 ―京の名工・池田三郎 美来工藝を訪ねて―

18歳で高知から京都へ

 京都嵐山、渡月橋から桂川を下流に1キロ、東にある住宅街の一角に「美来(みらい)工藝」はある。駐車場の奥に細長い2階建て木造の建物。1階の作業場をぬけて、社長の池田三郎さん(69歳・土洋分教会ようぼく)の後について、カメラマンのYさんと2人、木製の階段を上がった。

 部屋が三間つづきで並ぶ。奥の1番大きな部屋で、左右に並んだパソコンを4名の社員さんが操作している。「カチッ」「カチッ」カーソルのクリック音が響く。

池田三郎さん 眼鏡の奥の目がやさしい

 池田さんは、足摺岬のある高知県土佐清水市で、6人兄姉妹の4番目に生まれた。海・山・川の自然豊かな地だ。子どものころ1番好きだった遊びは、川にもぐって魚を取ることだったと言う。

「よく遊んだけど、親父が厳しかったから、家の仕事もしっかり手伝ってました」

 小さなころから家業の葉タバコ栽培や炭焼き、家畜の世話など、家の仕事をいろいろ手伝った。父親は一本筋の通った人だった。母親は人のお世話が大好きな人だった。二人とも、母方の祖父母から伝わった天理教を熱心に信仰していた。

 地元の工業高校を卒業後、名古屋の自動車会社へ就職の話があった。諸事情もあり、父親が池田さんを遠くへやることを嫌ったことが決め手となって話は流れた。卒業後は、両親の勧めを受けて天理で教えを学ぶ3カ月の修養科へ入った。その後、設立70周年でふしんをしていた京都の大教会で4カ月間、神恩報謝の「ひのきしん
をした。

 多感な年ごろに反抗せず、親の思いを素直に受けて進んだ。そのことが現在への道を開いた。ひのきしんを終えたころ、仲の良い会社社長から従業員探しを頼まれた土洋分教会の会長さんから勧められ、京都の会社に就職したのだった。

紙に「彫る」

「友禅」の名は、江戸時代の京の扇絵師・宮崎友禅に由来する。
 元禄のころ、人気のあった友禅の扇絵の画風を小袖の文様に応用して染色したのが「友禅染」。明治時代、西洋から入った化学染料と糊を混ぜ合わせ、型紙を使って模様を染める写し友禅染め(型友禅)が考案された。就職先は、この型友禅の型紙を造る会社だった。

「最初は、丁稚仕事のようなものでした」
 トイレ掃除や仕事部屋の掃除から始めた。六畳一間に3人で寝起きする。気兼ねも辛抱もしたが、もともと図面を書くことは好きだったから、紙に細かな文様を「彫る」仕事に興味がわいた。小刀の研ぎ方から教わり、彫り方を教わるうちに面白くなったという。

小刀は彫り方にあわせて種類がいろいろある 切っ先の具合を研いで調整して使う
小刀を研ぐ 3種類の砥石を使い分ける

 紙を「切る」ではなく、なぜ「彫る」なのか?
 従来からの型紙は、透明なフィルムを、柿渋をぬって糊で貼り合わせた和紙で挟んである。柿渋には、防腐・防水・防虫・抗菌効果があり、紙の耐久性も増すという。

 池田さんは棚から型紙を取り出し、下からライトに照らされた型紙に小刀の切っ先をあてた。切っ先が図案の線にそって動くと、切り取られた部分がめくれ上がる。まさに「切る」でなく「彫る」。葉の輪郭や葉脈など、強弱のある太い線は、線の太さにあわせて刃を2枚糸で固定した小刀で彫る。輪郭がハッキリする「引き彫り」や、柔らかな感じの出る「突き彫り」などの技を使い分けて型を彫り抜いていく、という。

 友禅染で振袖をつくる場合、下絵師が作成した図案を紙で作った実物大の振袖に写し取り、色鉛筆で色を入れていく。1色1色の重なり具合で出る色を想定し、できるだけ少ない型紙ですむよう構想する。型紙の大きさに合わせ15カ所ぐらいに分割する。1色に1枚型紙がいるから、1カ所に50色使うと50枚。合計750枚の型紙をつくることになる。

 型紙の彫り師の仕事は、下絵師の仕事を最大限に生かし、染め師など幾多の工程を経て完成まで進む土台の仕事だ。

「仕事をする上で、胸にしている天理教の教えはありますか?」
「教えというか、両親から言われた、信仰している以上は、人さまに迷惑をかけてはいけない、という言葉は常にありますね」

 迷惑をかけない、ということは、いつも相手のことを思って行動すること。数多くの職人の合力で出来上がる着物は、互いの信頼関係があってこそ良い物ができる。
 50年この道一すじに生きてこられた原動力の一端を感じた。

実物大 紙で作った振袖

勤め先の倒産から立ち上げた“美来工藝”

 池田さんが41歳のとき、つとめ先の会社が倒産した。3人娘の1番下は10歳。請負い中の仕事もあった。他の仕事につこうかとも考えたが、得意先から「後を継いでやってくれ」と言われた。倒産後の整理に、得意先・取引先の方々が力になってくださった。請負い中の仕事を家でする池田さんを、妻が支えてくれた。

 お世話になった方々のためにも、という思いで同僚社員数名と共に新会社を立ち上げた。しかし、倒産から1、2年の間に、病気がちだった父の出直し、妹、甥っ子の出直しと、思わぬ節がつづいた。

 なんでこんなことに……という思いに襲われながらも、
「大難は小難に、小難は無難に、神様がしてくださってる」
 母親の言葉を支えに、与えられた仕事に一心に打ち込んだという。

1階作業場 シルクスクリーンの版などをつくる
設立当初からの社員さん
シルクを張った後 専用の液を塗る
むらなく塗るには熟練の技がいる
シルクスクリーンの版型

「まわりの人の提案もあってね、気持ちだけでも未来に明るい希望を持つ、京都の伝統工芸、美しいものを未来につなぐという意味で、美来(みらい)工藝という名前にしたんです」

 当時は好景気で、仕事は十分にあった。しかし、景気の減速、急速な着物離れの影響で、2010年ぐらいから経営はきびしくなってきた。着物以外に、Tシャツや服、ハンカチなどの染め型制作も始めた。手作業の型紙制作から、パソコンでの型紙制作へと切り替えた。

 パソコンのモニターに、分割された着物の図柄が映し出されている。読み込みんだ図案をもとに、色ごとに版をつくる。画面の端に、型紙の1色ごとやパーツごとにつくった版(レイヤー)が数多く並んでいる。型紙を小刀で「彫る」作業をタッチペンやカーソルでするのだ。

 池田さんは言う。

「小刀で型紙を彫って仕上げてきた技術を、パソコンでつくる型紙に活かしたい。そして、従来の技術も伝えていかなければと思っています」

 池田さんが小刀で型紙を彫る間、社員のみなさんは手を止めて池田さんの手元をじっと見ていた。その視線が熱い。2001年に伝統工芸士認定証を表彰され、また2014年に京都府伝統産業優秀技術者(京の名工)に表彰、さらに2022年には秋の瑞宝単光章に表彰された技を吸収しようとしている。

池田さんの三女

 新会社設立時から働く社員さんは現在2名いる。1名の婦人に話を聞いた。

「もともと絵を描くことが好きで、図案を描いていたんですが、ご縁あってここへ入らせてもらいました。毎日が楽しくて、娘にも『好きな仕事ができて最高やね』と言われます」

 と、明るく笑う。他の3人の社員さんもニコニコして話を聞いている。和気あいあいとした空気だ。その中に最近入社した、池田さんの三女さんの笑顔もあった。

「父から頼まれて転職したんです。それは、仕事にはきびしいですよ(笑)。わたしたちのために、家で夜遅くまで仕事をしていた父の背中を覚えていますしね。家庭もあってなかなかむずかしいですけど、この仕事を伝えていけたらと思っています」

 この道一筋50年、歩んできた池田さんの顔がしわくちゃになった。

「型紙がデジタルに変わっても、その中で型紙の技術をもれなく伝えたい」

 柔和な池田さんの目がキラッと光った。

【有限会社美来工藝】

●ホームページ●
https://mirai-kougei.com/

〒615-0937 京都市右京区梅津北川町19-1
TEL (075)861-6808
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この記事を書いた人

図書出版養徳社 編集課長
養徳社に勤めて30年。
2020年から養徳社が激変‼️YouTubeチャンネルが始まり右往左往。
Web magazineも始まり四苦八苦。読者の方が読んでよかった、と思っていただける記事を目指します。
趣味は自家製燻製づくりの55歳です。