ステキな陰暦の話 4

陰暦の話からそれて、月の話題に偏ってきたので、元に戻って陰暦の話を続ける。

旧正月

陰暦の正月(旧正月)は、太陽暦でいえば年によって変わる。一年が太陽暦より11日足りないので、普通は太陽暦換算で11日ずつ早くなる。ただし閏月が入った年の翌年は-11日+29日(もしくは30日)で18日(もしくは19日)遅くなる。この「もしくは」と書いた括弧の中が面白いのだが、回を改めて詳しくご紹介することにする。ここでは「旧暦の1ヶ月は29日の月と30日の月がある」とだけ覚えておいて頂きたい。「正月が年によって変わったら不便じゃない?」と思った人は、4回目の連載にしてまだ太陽暦の発想から離れられない人だ。暦で正月が来たら正月行事をする。なんら生活に不便はないのは当たり前のことだ。

正月行事と陰暦

正月を陰暦で行う国は中華圏に多い。中国、台湾、香港、朝鮮半島、ベトナム、モンゴル、ブルネイなどである。新型コロナウイルス感染症が流行する前までは「春節」といって旧正月に日本に大挙押しかけてくる中国の方を見たことがおありだろう。日本で言えば正月をハワイで過ごすような感覚か。だいたい太陽暦で言うと1月21日~2月20日くらいの間に旧正月が来る。「初春」「新春」といえばお正月の決まり文句だが、1月1日では「春」とはまだ早い。しかしこれは旧暦の正月を考えれば納得がいく。1月下旬から2月にかけて、梅のつぼみが大きく膨らみ、早い地方では咲き始める。「迎春」が皮膚感覚で理解できる。

「数え年文化」

見てきたように、旧暦では「去年のこの日と今年のこの日は、正確に同じ日」という感覚に乏しい。一年が13ヶ月あったりするから、二十四節気をもとに考えれば、〇月〇日というのはズレていて当たり前だ。何が言いたいのかというと「誕生日」である。誕生日は毎年「同じ日」でないと意味がない。生まれて何年目かを数えて祝うのだから、正確に「同じ日」でなければ祝う意味がない。あれは太陽暦文化の産物である。では正確に同じ日がない陰暦文化ではどうしたのか。このお正月に、全国民が一斉に一歳年を取ることにしたのである。これを数え年という。

「あけましておめでとう」

「あけましておめでとう」とは年が明けたからめでたいのではなく、みんな一斉に一歳年を取って成長したからめでたいのだ。だから仕事も休んで斎戒沐浴(さいかいもくよく)、神仏に無事年を取ったことに感謝して手を合わせ、「年取り餅」を食べ、お屠蘇を飲んで祝った。全国民の誕生日だから全国民が休んだのだ。いまやどうだ。どうせ暇で買い物に来るから売れるはず、と、正月初売りをするなど当たり前ではないか。これは陽暦の誕生日が普及して、正月の感覚が変わった証拠である。野暮なことこの上ない。

「数えで何歳?」

私の祖母は「お前いくつになった?」と聞くので「〇歳」と答えると「ほな、数えで〇歳だな」と計算し直していた。そうしないと感覚的に分からないらしかった。蛇足ながら、数え年の計算方法をご存じない方のために記しておく。日本の古い年齢の数え方に零歳はない。零は「なにもない」という意味なので、実際に目の前に生きている赤子を「零」とは数えない。この「零歳」というのも考えてみたら太陽暦文化だ。正確に生まれた日がめぐってきてやっと「一」になる。陰暦文化では生まれたら「一歳」である。さらに正月が来るたびに一歳ずつ年を取る。私は11月生まれなので生まれてすぐに一歳。すぐに正月がくるので実際は生後2ヶ月だが、数え二歳となる。そういえば祖母はだいたい満年齢に2歳足して換算していたようだ。天保9年10月26日、天理教の立教の時、「稿本天理教教祖伝」には「五女こかん二歳(満零歳十一カ月二日)であった」と書かれているが、この意味である。また、教祖は90歳で現身を隠されたが、これも数え年。満年齢では寛政10年(1798年)陰暦4月18日(陽暦6月2日)生まれの教祖は、明治20年(1887年)陰暦1月26日(陽暦2月18日)には満88歳8ヶ月であられた。

次回へ続く

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