炊事本部のありがたさ

 私と家内が詰所生活に入ったのは、新婚8カ月のころ。初代会長であった父が心筋梗塞で倒れたことがきっかけであった。   
 以来40年、小さいながら詰所に住みつつ、私は道友社や教庁や教会のご用をしてきた。

 一方、家内は、本部月次祭などの大人数の時以外は、日々の食事は炊事本部からの配食に頼らず、炊事や詰所用務を一手に引き受けて、ことに炊事では、少人数の時もあったが、学生をお預かりしているので、時には毎食(特に夕食)10数人分を家内ひとりで作りさばいていたこともあった。

 しかし、結婚40年を過ぎた今年、家内は大きく体調を崩し、私も脳梗塞で憩の家に20日余入院したりして、まったく詰所内で自炊できなくなった。

 修養科生もいて、下宿している女学生も3人いるので、詰所としても「開店休業」というわけにはいかない。他はなんとかなっても、食わねばならない、食べさせねばならない。そこで、「炊事本部」の配食をお願いすることになった。

 その「炊本食」頼りが、3カ月余続いている。そして、その感想は、

「なんと、ありがたいことよ、毎食種類も内容の味付けも、すべて創意工夫がされ、なんといっても栄養バランスがあり、みんなおいしい」。

 毎食が感謝、感謝なのである。

 時に、「生ものがない」とか、「野菜が足らない」などと言う輩もいる。なんと、贅沢なことを…、と。足らなければ、継ぎ足せばいい、野菜なら買ってきて、添えればいいではないか。

 私は、改めて「創設された二代真柱様の先見の明、炊事本部の偉大さ、素晴らしさ」に気づき目覚めた。そして、心より深く感謝する。

 うちの詰所でいえば、今なら、毎朝6時半に、夕食は3時半に、届けてくださる。配食係の方々は、みな低姿勢で礼儀正しい。そして、安価である。

 皆さんも、おぢばに帰られて、詰所で炊本食をいただくとき、どうか時には作ってくださっている方、運んでくださっている方々を思い浮かべながら、「感謝」していただきたいと思う。                        (芝)

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