ステキな陰暦の話 5

さて、「第2回」に書いたが、もう一度詳しく陰暦の日付と月の形、並びに太陽との位置について説明しておきたいと思う。

月の公転

太陽と月の位置は毎日角度にして12度ずつずれていく。具体的には太陽から見て東の方角に12度ずつ離れていく。なぜかというと、月が地球を公転しているからである。あり得ない話だが、もし月が公転しなければ地球と月と太陽の位置関係は年中変わらないので、まったく同じ月が同じ時刻に昇ってくることになる。実際は公転の遠心力が失われることで月と地球は引力に引かれあってぶつかってしまうことにはなるが。

「朔望月」とは

月の公転周期は約27.3日である。しかし、月が27.3日かけて元の位置に戻ったとき、地球が太陽の周りを回っているせいで地球の位置もずれるため、もう少し月が地球を回ってくれないと地球から見て同じ位置には届かない。それで、月の満ち欠けの周期はもう少し延びることになる。平均で29.5日だ。これを「朔望月」という。この月の欠け方を数値化したものが「月齢」だ。太陽と月が同方向に来る時刻を「0」とし、次の日が「1」となる。普通は0.1刻みで数える。

「朔」とは

太陽と月が同じ方向に来たとき、月は見えない。なぜなら昼間は太陽の強い光に照らされているし、太陽が隠れる日没とともに月も沈んでしまうからだ。夜は真っ暗闇になる。この状態を「朔」という。この日の月は新月と呼ぶ。つまり月齢0の新月の日を含む日が旧暦の一日(ついたち)となる。「朔日」と書いて「ついたち」と読む。月齢と旧暦の日付は正確に同じではない。普通は月齢0が1日だから、月齢に1を足せばその日の日付となる。しかし例えば午後11時59分に月齢が0となれば、その日が旧暦1日となるが、2分後の午前0時1分は、月齢は限りなく0に近いが日付は2日となる。

三日月・半月

新月からだんだん月が東の方に離れていって、3日目ごろ、私たちがよく見慣れた月の下側が細く光る三日月となる。三日月(みかづき)とは、文字通り旧暦3日の月である。学術的には「上弦の月」という。「上弦の月だったっけ、ひさしぶりだね月みるなんて」という吉田拓郎の歌「旅の宿」は、太陽が沈んで間なしの夕刻に歌われたはずだ。さらに月が離れていって日が沈むころにちょうど南中を迎える月は、月の右半分が太陽に照らされて左半分が欠けた月となる。これを半月という。

「望」とは

これを毎日繰り返すと、日が沈む時刻の月がだんだん地平線に近づいてくる。欠けていた左半分がだんだん膨らんでくる。そしてとうとう日が沈むころやっと月が東に昇るようになる。このころの月は太陽光を正面から浴びているので、地球から見てまん丸に見える。「菜の花や月は東に日は西に(与謝野蕪村)」の状態。これを「望」という。月の呼び名は「満月」。蕪村が見ていたのは満月のはずだ。月齢は約14。旧暦では15日となる。俗に言う十五夜お月さんで、最も明るい月になる。「望」の「月」と書いて「望月(もちづき)」と読む。藤原道長の「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたる事もなしと思へば」は、満月を自分の栄華と重ねた歌だ。

さらに離れると

さらに月が離れていくとどうなるか。夜遅くに昇る月は、これまでと逆に右側が欠け始めている。

次回へ続く

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